私の真上―主体と客体 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)



もう20年
私を毎朝見送り
物言わぬ穏やかに葉を揺らして
帰りを迎えてくれる
コブシの木。

春にはソメイヨシノより
一足早く可愛らしい笑みの
白い花を満開に咲かせて。

夏には葉を繁らせ
木陰に涼しい風を呼ぶ。

秋には黄色く色づき
冬には全て落葉し
上昇の枝を月に伸ばす。

駅前に物凄く大きなコブシの木が
何本もあり
季節ごとに豊かな表情を
観せてくれる。

毎日飽くことなく見上げて
深呼吸しながら呼吸を交換し
気持ちを浄化させて。

毎日毎日同じ木々の
写真を撮り続け。

季節ごとのコブシが
綺麗に一巡した。

今年の春
まだ花が咲く前に
ある日突然
一斉に枝を全て剪定されて。

大きなコブシの木々は
全て枝をなくした棒になった。

あんなに豊かに
枝を携えていたのに
まるで裸の木偶の坊のように
或いは巨大なニョロニョロのように
悲しい姿になった。

20年優しく見守られて
何があってもそこに帰れば
温かな「おかえり」があった。

本当に悲しくて悲しくて
愛する家族を亡くしたように
涙が溢れて止まらなくなった。

駅の職員の女性に尋ねたら
雨風で駐輪場の自転車が  
伸び切った枝に薙ぎ倒されたり
傷付けられたりするからと。

今年も咲くといいわね。

咲くわけないと思った。

でも咲いた。
何本かあるコブシの木々の
小さく伸ばした枝にそれぞれ
ひとつふたつと
コブシの花が咲いた。

木偶の坊なんかじゃなかった。
愛おしくて愛おしくて
また涙が滲んで。

そんなコブシの木々は
今、南国の木のように
天辺に沢山の葉を茂らせている。

しかも剪定前の豊かな枝振りの時の
可愛らしい葉ではなく
異様に巨大な葉を茂らせている。

見上げたら
久し振りに綺麗な雲。

天辺のコブシの葉と。


いつも空に負けないくらい
一生懸命上昇の木。

下はまだ悲しい姿で。
写すに本当に忍びなくて。


帰り道。




そして
 
私の真上。

何かの化身。
祈るように神様に仕えているような。

真っ直ぐ真上を見上げて
思い切り手を伸ばして。

つい慈悲を乞うて。

まだまだ
生きられますように。

やらなくてはならないことが
沢山あります。


主体と客体。
どちらに重きを置くのか。

ぺしゃんこの此処で 
細やかに生きている
ちっぽけな命と
届かない無限の其処と。

どちらが主体なのか。





花画像一覧は障害中につきこちらへ。



空へ
命を乞う。

思えばどれも
小さくて雄大な命だった。

同じなのだろうと
思った。

人が生まれて
やがて生まれる前に帰る場所。

この完璧な仕組みに作られた
無数の細胞を持つカラダが
例えば無限の宇宙ならば
無駄に生きてはならないと

主体も客体も
同列の一体のように想えた。

無限の宇宙の中に在る
この小さな欠片は
また宇宙の細胞であろう。
何億年ものの間
生死と再生を繰り返した。

宇宙は

大きなカラダであろう。



     ピンク薔薇

今日も一日お疲れさまでした。

無駄なことを考えましたか?ワラ★

気を紛らわしました。
体調は中のやや上。

良くも悪くもなく
やや疲労。

お通じは今日も
快調の大量2日分色違いワラ★

快腸の後はいきなり頗る心身良好になる。
痛みや病も忘れるくらい。
通常と何も変わらないくらい。     

でも次のお通じ前でまた駄目になる。
本日は2回も身体が出したがっているワラ★汗
だけど今宵は無理のようで
若干痛みが来る。
お通じの良し悪しが
体調の良し悪しだったのかも知れません。

そんな中の上。 

大量が素晴らし過ぎて。
眺めましたごめんなさいワラ★汗

どうぞ快眠快食快便を。

やはり食物繊維の根菜は
重要です。

今日は食物繊維サラダを食べました。
メンチカツと。

お通じの後はいきなりウキウキで食欲もわき
甘い物が堪えきれなくて
反動のように急いでコンビニへ
あむっあむっあむっ!といきました。
飲み物も堪えきれなくて
糖分含むレモンティー。  

だから痛むのかどうか。
我慢はストレスになるし。 
どうしたら良いのか色々解りませんワラ★汗

どうぞ明日また 
素敵な一日になりますように。

最大のリラクゼーションで
おやすみなさい☆



HAPPY!ニコちゃん四つ葉ハート

春風

好
寝なくちゃ汗