知らないということ | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)



花々や小さな生き物たちや
木々や空や自然を観ていて
一番癒されるのは

人々の些細ないざこざや
つまらないいがみ合いや
争いや怒りや悲しみや
苦しみや

そういったあらゆる全てを
また本来必要のないものたちを
一切何も知らないから。

何も知らないということに
とても救われて癒される。

そのことが美しいとも描いてきました。
薔薇は自分の美しささえ知らない。
それが美しいと。

人々は無闇に沢山の
苦悩を抱えるけれど
その分
生き物の中では恐らく一番に
幸せや喜びもひとしおに
感じられる生き物であるとも想う。

何の苦しみも哀しみも
誰にも煩わされることなど
本来人々にだってない筈なのに

如何せん
人々の心というのは 
様々な感情に縛られやすい。

そんな複雑な心も
知恵と勇気と優しい気持ちで
乗り越えられる生き物でも
ある筈なのに

今の時代にはなかなか難しく
難しい時代に生きた人々たちは
それをまた次の世代に渡してしまう。

沸々と怒りや不満を抱えながら
それが全て子供に染み渡る。
また次の世代ヘまた次の世代ヘ

沸々とした怒りや不満や悲しみの情は
輪をかけて膨らんでいく。

人を憎み妬み恨み
そうして世の中が回っていく。

何か何処かで
歯止めをかけなければならなくても
膨れ上がったそれらは
なかなか収まりが効かない。
混沌とした時代というのは
もう随分前から続いている。

生きてきた世代というのは
あると想う。

丁度私はその世代の
移り変わりゆく真っ只中にあり

今を率先して担う人々からみたら
ただでも異端なのに
世代の違いが更なる異端を
膨らませているかも知れない。

更に私の親は
日本人でありながら、
内地で踏ん張って
生きてこられた方々から見たら
台湾という外地の
特殊な環境で生まれ育った人間であり

それをまるで異国人のように扱い
内地の真の苦労を知らない
よそ者のように見る。

そのように扱われる親を見て育つと
子は親が絶対ですから
更に私側から外部ヘの違和感が膨らむ。
何故我が家だけ
そういう風に見られるのかという
疑問は子供の時からずっとあった。

ほとんど大らかでした。
両親も兄たちも。
大体笑っているし
楽しいことばかり考えている。

大好きな家族ではありましたが

時折虫の居所が悪いと
何がそんなに楽しいのかと
私は密かに胸中で
反発さえしました。

何らひとつたりとも
手応えもない無駄な抵抗。

爆笑されて揉み消される抵抗。

志那的に楽観的で
小さなことにうだうだ言わない。
人にも自分にも。

人は人。比べてはいけない。
自分の物差しで計らない。
人からも計られる必要はない。
人それぞれ。
百人いたら百通りの考えがある。

自分は自分。

堂々と生きなさい。

人を想う優しい愛情と。

私はそれしか知らなかった。
そういう環境の中で
ただそれしか知らなかった。

他に何も知らない。
色んな人が居ても
それさえ知らないように
生きてきた。

人と比べないから
人がどんなでも関係なかった。
そういう人もいる。
人それぞれだから。

何も知ろうともしなかった。

それでいいとさえ想って。

そういう一般人。

だけど、そうではなく
道に迷って迷って分からなくて
苦しくて辛くて
もがいて踏ん張って
生きている人もいる。

それぞれだから
みんな頑張って生きているのに

私はそれさえ知ろうともしなかった。

自分が幸せならば
それでいい。

自分が幸せであることが
誰かの幸せに繋がればいいと
想ってきた。

そのことを大切にして
生きてきた。

でも、あんまり私が
何も知らなくて
何も知ろうともしなくて

今の時代に翻弄する人々の
一見では分からない苦しみに
何も気付こうともしなかったから。

だから今
このように真逆くらい
汚くなったのかも知れないって。

汚くなってみないと
気付かないことも沢山ある。

今本当に世の中が闇の中にあったことも。
空がこんなに綺麗だったことも
鳥がこんなに奇麗に羽ばたくことも。

鳩の羽ばたきは 
下から見上げると
光に透けて白くて凄く綺麗。

幸せの中にだけいたら
多分気付かなかった。

目の前の幸せだけに
満足してしまうから。

汚くなったから
見上げてきたから。

それまで毎日毎日空なんか撮らなかった。
猫まみれなだけで。
Facebookを見れば判る。
ほとんど猫しか居ない。

色々あってから。
綺麗なものが
沢山見えるようになった気がする。

毎日毎日毎日毎日
望まないことで
私には毎日毎日
有り得なくて
苦しくて辛くて

空を見上げて
刻々と変わる空に魅了されて。

嫌な気持ちを吹っ切るように
ところ構わず写真を撮り続けて
想いを添えて。

そのことに夢中になれて。
楽しくなって。

でもそうすることさえ許されないように
それ以上にまた余計に色々あり
どんどんエスカレートしていく。

心はもう真っ白に真っ直ぐに
元には戻れないくらい酷く歪んで。

だけど今までと違う
もう少し人の苦しみや傷みが
少しは解るような
違う優しさのカタチになるかなと
想ってる。

違うカタチの幸せになるかな
と思ってる。

あんまり何も知らなかったから。

だからきっと知らなくては
分からなかったことに

沢山出会えたかなとも想ったり。

もうそういう悪質なことは
一切要らないけど。

忘れてはならない
大切な基本だけは胸に
また新しい自分にも出会えるように。

何事もまた楽しめるように。

また心の底から
笑えるように。

独り言。


どうぞ
明日また
素敵な一日に
なりますように。

新しい週の始まり。 

頑張って下さい。

良い夢を☆

HAPPY!ワラ★クローバーハート

春風

好
神経痛諸々体調は万全です。

2015


私が子供の頃は
よしゆきちゃんという子が誘拐されて
遠い他所様のお子様でも
ご近所中、家族中で何日も何日も
テレビに張り付いて心配をしていた。

三億円事件なんか
もう腰が抜ける程の驚きで
先日も話したアポロの月面着陸では

昔は40人以上一クラスで
一学年六クラスあり
六年生まで何人でしょう?

その全校児童が体育館に集まり
わくわくドキドキ感嘆の声を洩らしながら
テレビ鑑賞をしていました。

今、月には当たり前のように行き
誰が誘拐されたか解らない。
九人も居なくなっても知らなくて。

何処かからミサイルが飛んできても
あまり関係なく知らん顔で仕事をしている。

慣れの怖さというのも
本当に身に沁みて知ります。


11/20 17:33
ごめんなさい。小学校は4クラスでした。
40数名✕4クラス✕6学年。
それでも多い。
小さな田舎でありながら。

中学が6クラスですね。
一学年260人以上。
中間、期末、模試と
100番まで試験の成績が
廊下に張り出されて。
一目でだれかれにも
何もかも解って。

良ければ当たり前、
悪ければ何やってんの?みたいな。
一人ひとりの感受性など
なかなか手が
届かなかったのかも知れませんが。

第一次ベビーブームだったでしょうか。

普通かな?

調べたら
ベビーブームを逸れた
第一次と第二次の中間世代でした。