電気式モコと食後にゃピヨ 追記♡ | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




沢山撮りました。

可愛くて。

Y(>_<、)Yо(ж>▽<)y ☆



(((゜д゜;)))

 

充電しながらご飯を食べている
電気式モコちゃんと。
無心で一生懸命食べるにゃピヨ。




ひと足お先に食べちゃったぶぶちゃんの
ミアモコの食べ具合の監視&残り具合の物色。



食後の迷い。






ホウロウが冷えるの待ってるにゃピヨ。





瞑想。





14:00

すみません。間が空いて。
写真調整で疲れちゃって汗


あ、マグカップ。
汚れている訳じゃないんですよ。
写真の画質調整で
色んな影が出ちゃうんです。
逆光だから。

珈琲染みも陶器の染み専用スポンジで
綺麗に落としたばかりですし。

すんごいみるみるうちに
あっという間に落ちるスポンジ。

びっくりします。

赤いのは
もぅ10年以上くらい使ってる。




今日は休日。

辺りは静かで、部屋は涼しい。

穏やかで

長閑でいいです。

こんな当たり前な日常が
好きです。

当たり前だけど
当たり前じゃない。

これ、旧ブログからずっと言っていますが、

誤解されてる方がおられるようで。

当たり前なことなど何もないと。

全く違うんです。

当たり前のことは
日常や社会の中に山ほどあります。

挨拶ひとつにしても、
優しさを差し出すことにしても、
最低のルールを守るにしても、

朝起きてご飯を食べて
仕事に行く。

一日頑張って役目を果たす。

お腹が空いたらご飯を食べる。
眠くなったらゆっくり眠る。

みんな当たり前のこと。

優しさにしても。

自然に当たり前にやる。

結論は、当たり前なんです。

にゃんずとの毎日も
預かっている小さな
かけがえない命たちを
当然、当たり前に大切にしてる。

毎日一緒に傍らにいてくれる。

当たり前のこと。

だけど、その当たり前のことが
他の何にも変えられない
かけがえない貴重で特別な
一瞬一瞬であるということ。

出逢った奇跡からずっと。

当たり前だけど
当たり前じゃない特別な幸せの瞬間。

だからどんな瞬間も大切に
幸せに受け止めて
一日一日大切に丁寧に過ごす。

その積み重ねが
後に大きな幸せに繋がる。

振り返った時にどこを切り取っても
また優しい幸せに心触れられるように。

いい人生だったと
最期に思えるように。

その為に生きてるくらい。

その一日一日の大切な積み重ねが
結果、気付いた時には
いい人生を送っていたという
一番大切なことに繋がると私は想っていて。

それは旅立った大切な家族たちが
教えてくれたこと。

私はそういう意味で
ずっと描いてきました。
 

自分だけでなく
自分以外への誰かへも。

真の優しさの全てに。
猫たちヘも然り。


難しいことなんかじゃない。

当たり前だけど当たり前じゃない
かけがえないことすら

無為自然という意味では
日々日常の当たり前のことなんです。

屁理屈じゃなくて当たり前。

偏屈じゃなくて無為自然。

誰に押し付けている訳でもなく
私個人の思想です。
勿論勝手に拡散して下さいなどと
大切な想いを信頼関係もない
赤の他人に勝手に無断で
片っ端膨大にお金儲けに使われ続ける
筋合いもない。違法ですから。

誰にもそんなことをする権利も資格もない。
法律で定められていること。


ただ、誤解されるのが一番嫌なだけ。

世の中余計な誤解だらけだから。
関係なくても誤解されるとか最悪です。

何もなければ、悪いことは
一切考えません。

人生の無駄でしかないので。


当たり前のことが
当たり前じゃなくなった時に。

そう言われた方もおられましたが
それが正しくて。

当たり前なことが
当たり前じゃなくなった時に

如何に当たり前のことが
貴重で大切であったか気付く。

私もそういったことを前提とした
想いで描いたので。

家族や
大切な故愛犬マミさんの
本当に辛かった旅立ちを経験して。

一瞬一瞬がかけがえない宝物と。


当たり前のことなど何もない。
というのは、私には息が詰りましたし。
上っ面だけの違和感しか感じませんでした。

日本語は微妙で繊細です。
だからひとりひとり
心の機微や受け取り方も違い。

それが個性で
それでいいのかも知れませんが。

いちいち説明しなくても。

でも片っ端吸い取られながら
意味が延々全く真逆に違うと

自分の思想や精神が乱れるので。

大体そういうことをし続けて
他人の苦しみも延々理解せずに
理解どころか馬鹿にして笑いながら
我が物顔の偉そうな口調で不特定多数の公に
ばらまかれ続け、
噓や偽善や汚いお金儲けに
使われ続けるのが
どんなに精神に悪いか
人としてまずそれを理解して欲しい。

普通誰も悪質違法に
そんなことをしない。

それが人として
最低の当たり前のことだから。



長々になりましたが。


どうぞ今日もラストまで素敵な一日に
なりますように。

10日のお給料日。
毎月一度社長にお会いする日。

いつもの植物屋さんで。
涼しそうなグリーン。



ミニピンちゃんがてんかんで入院中、9歳の美人シェパードちゃんが、もうボール投げ遊びはやめて下さいとお医者さまに言われたこと、お若い頃社交ダンスを十年やられ、10センチ近いヒールで踊っておられたお写真と。

いつも色んなお話しをされて。
色々学ばせて頂いている
大切なひととき。

私も社長になりたいです。
 

Happy!ニコちゃん四つ葉ハート

春風

好

お昼寝かな?
゚・゚*・(゚O゚(☆○=(`◇´*)o


何で〜(/_;)/~~。





大切に頑張って生きてる
いい子。





心が洗われて素直に優しくなれるから。
改めて。是非聴いて差し上げてみて頂きたいです。
風や小さな花々のような可愛い人の歌。



パンも素朴で懐かしくて優しくてめちゃめちゃ美味しい老舗のパン屋さんです。

時間が遅いと、ほとんど売り切れて。
ラストは値引きされていてラッキーだったり。

ずっと20年同じ街で暮らして。故愛犬マミさんとの大切な沢山の思い出、大きな桜、前の猫との記憶、息子との思い出、地元はこの歌の通りで、皆声をかけ合って温かい。

旧ブログにもよく描きましたが、自宅から商店街の薬局に行って帰るまでに何時間もかかる。

重い猫砂を持って、手が千切れそうに重くても、次々と声を掛けて頂いて、よく長い時間立ち話を。よそ者私でも温かく接してくれる優しい小さな街。

重い猫砂よりも、温かい想いの方が大きい街。

ともすると、故郷よりも温もりを感じることも。故郷には故郷の良さもありますが。

毎日地元に降りた途端に
ホッとして。

どこも守られた我が家みたいで。

失われつつある、大切な何かが、まだ優しく守られて受け継がれた街。お花や。コブシの木々や。