こちらでもよく描いてきた私にとっての「いつも通り」「変わらないことへの安堵」について、多数記事あり、それを含む。
普通のこと、当たり前のように出来ていたことが、当たり前ではなかったということ。
当たり前のように毎日私の傍らに居てくれるけれど、本当は当たり前なんかじゃなくて、かけがえのない特別な宝物の瞬間瞬間であること(2007~)。
にゃんずと出逢えた奇跡も。
私が今此処に生きて存在していることも。
色々出来なくなって初めて気付くのではなく、あらゆることに於いて「当たり前」ということはほとんどなくて。
あらゆる全てのことが奇跡であるのかも知れない。
だからどんな小さなことにも眼や心を向けて。
凄いね、偉いねって沢山誉めてあげたい。
また、何に於いてもそのように大切に過ごして、沢山感動していたい。
2017/2/14日追記。
17:57
逆に、自分がやるべき大変なことや困難なことへは、大変とは思わないで、それが当たり前のように自然にさり気なくこなしたい。
だから「ありがとう」と言われたら、「とんでもない。全然大丈夫」と答えるのね。
「とんでもない」と言うのは悪い方の意味ではなくて、「感謝されるには恐縮するくらい取るに足らない当たり前のこと」
大変でも、どうせやる以上はという意味。
本当に大変で本当にしんどい時だってある。
色々無理しない。
無理な時は無理と言う。
片っ端膨大侵●ながら、最悪な脅しをしながら、吸い取った言葉で真逆なすりつけ文句を絶叫している人間たち。
例えば秋●が片っ端大量に侵●しながら吸い取った言葉で絶叫している「(幸せの)欠片を拾い集めるな」「いい人になるな!」とか。倉の「傷つけてる」とか。
お前達に言われたくないし、全て抹消してから言って。
私はそういう風に育ってきたから仕方ないの。悪しからず