「色々~」や「ただ~」「ただ何となく」「ただ~と思っただけ」などはずっと昔からの口癖で。
「ただただ愛おしい」「ただ優しい」などは、その事実以外には目や心が動かないくらいにという強調でよく使うけれど
また全く違う意味で、それ以外は大概一番大切な心を曖昧にして誤魔化していることが多い。
嘘は大嫌いなので、必要なこと(余命告知や)以外嘘はつかないけれど
これでも昔から言いたいことを殆ど言わないでいることが多かった。
黙り込んだり、誤魔化したり照れなど。
ようやく言っても「あ、ただね、ただ何となくそう思っただけ」と曖昧にするようなことを言ってみたり。
現実社会の実生活では、今もずっとそんな感じ。
言いたいことの一割も言わない。
というより、何もなければ言いたいことなど殆どないから。
人それぞれだから。よく描いてきた父からの教え「自分の物差しで計らない」
そして「色々~」は想いが溢れるから。
まとまりきらない具体的な想いなど、溢れ過ぎて自分が面倒になり、省略してしまうようなニュアンスでよく使う。
「色々。色々とね」など。
便利な言葉。
頭に色々を付ける癖も。「色々~」と。
だから春風のアカウントを1616。
喋らない分絶対に想いは溢れるから。
この「色々~」は、例外なく一連が延々やり「ただ~」「ただただ」も同じ。
最近また無関係持ち出しで「雪の華」など出していて。
「ただ愛してる」を言いたいのでしょう。
「雪の花」も「華」も描いているから。
そんなの若い頃からずっと描いてる。
まだ20代の頃に応募もしている。
夕べも「色々」と描き、今朝チェックをしたら癌blogがまた「元気の源」と書いてあったのを「いろいろの源」に直して、ネットニュースでまた強調してお知らせアピールをしていた。
最高に恥ずかしくて、最高にみっともなくて、最高に悲しい生き物たちとしか思えない。
そういう怨念の思考しかないから、何も考えられない。
何も考えられないから、想像力も湧かない。想像力も湧かないから人の気持ちが一切判らない。
だから他人の大切な想いを片っ端奪い自分たちのもののようにして平気で嘘をつく。
人の気持ちが一切判らないから嫌がらせの怨念が湧き、平気で他人を妬み尽くして更に片っ端奪い尽くして●がらせをし続けてやめない。
最高の「心の悪循環」
哀れで可哀想しかない。