余談②《想い》 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




著作権についてと、ネット上の全てに於いて侵害の禁止を各記事に貼っていても、blogを非公開にしてもまだ吸い取り続けていて。

結局また、証拠として公開にしたまま一旦休止。


トップには、現状と、やはり「禁止事項」をしっかりと描き添えている。

それでも、延々延々違法に吸い取り続けている。

2011年から始めたtwitterも同じ。

非公開にしても削除しても、どこに引っ越しても付きまとい、次々と片っ端から奪って汚い芸●人たちの汚い食い物にされ続けていく。

みんなコピーしてやっているのがあからさまに判る。

またblogを非公開にしてみても同じ。

非公開にすれば喜んで余計に盗る。

twitterも沢山引っ越し。

今の@Usaginoshippo07が最新。

ネット上に沢山のtwitterが存在している。

非公開のtwitterや、記録や怒りに埋め尽くされ、凍結したまま私しか視れないtwitterもある。

凍結している中からもまだ奪い続けている。

狂った鬼畜しかないよね。

私は、blogに救われ、blogで知り合った沢山のお友達の優しさに救われながら、自分の想いが少しずつ形となり、積み重なり、想いの行く先や夢や希望や意志や信念などが完成されていく中で

活字中毒だった私は、書店に並ぶ書き物というものに興味をなくしていく。

自分の内側からあふれ出る想いに集中していたから。

読み物に飽きると辞書を読み始める。

辞書も昔から好き。監修の好みもある。

辞書が水に濡れたように、よれよれに汚くなっていくのが嬉しかった。

わざわざ汚く捲ったりもした。

辞書はどんな書き物より面白かった。

「言葉」に対する真意しか描かれていないから。

全ての言葉がストレートに脳に刷り込まれていく。

それが膨大に積み重なって、奥や幅や高さが広がり、自分の想いが自由に文字となって生まれる。

そんな喜びが生まれて。

更に、目に映る様々な風景やものたちの写真を、毎日毎日撮り続けることで、その写真に対して、積み重なった言語や意味が、勝手に脳から零れ落ちてほとばしる。

記事「綿雲」にもありますが、私は内向的だったことから、あまり喋らない。

その分毎日毎日「記憶の言葉」たちが脳から零れて零れて。

それを拾い集めなから、大切な「心」の想いを綴っている。

その積み重ねが、また私を更に大きくすると信じて止まない。