著作権についてと、ネット上の全てに於いて侵害の禁止を各記事に貼っていても、blogを非公開にしてもまだ吸い取り続けていて。
結局また、証拠として公開にしたまま一旦休止。
トップには、現状と、やはり「禁止事項」をしっかりと描き添えている。
それでも、延々延々違法に吸い取り続けている。
2011年から始めたtwitterも同じ。
非公開にしても削除しても、どこに引っ越しても付きまとい、次々と片っ端から奪って汚い芸●人たちの汚い食い物にされ続けていく。
みんなコピーしてやっているのがあからさまに判る。
またblogを非公開にしてみても同じ。
非公開にすれば喜んで余計に盗る。
twitterも沢山引っ越し。
今の@Usaginoshippo07が最新。
ネット上に沢山のtwitterが存在している。
非公開のtwitterや、記録や怒りに埋め尽くされ、凍結したまま私しか視れないtwitterもある。
凍結している中からもまだ奪い続けている。
狂った鬼畜しかないよね。
私は、blogに救われ、blogで知り合った沢山のお友達の優しさに救われながら、自分の想いが少しずつ形となり、積み重なり、想いの行く先や夢や希望や意志や信念などが完成されていく中で
活字中毒だった私は、書店に並ぶ書き物というものに興味をなくしていく。
自分の内側からあふれ出る想いに集中していたから。
読み物に飽きると辞書を読み始める。
辞書も昔から好き。監修の好みもある。
辞書が水に濡れたように、よれよれに汚くなっていくのが嬉しかった。
わざわざ汚く捲ったりもした。
辞書はどんな書き物より面白かった。
「言葉」に対する真意しか描かれていないから。
全ての言葉がストレートに脳に刷り込まれていく。
それが膨大に積み重なって、奥や幅や高さが広がり、自分の想いが自由に文字となって生まれる。
そんな喜びが生まれて。
更に、目に映る様々な風景やものたちの写真を、毎日毎日撮り続けることで、その写真に対して、積み重なった言語や意味が、勝手に脳から零れ落ちてほとばしる。
記事「綿雲」にもありますが、私は内向的だったことから、あまり喋らない。
その分毎日毎日「記憶の言葉」たちが脳から零れて零れて。
それを拾い集めなから、大切な「心」の想いを綴っている。
その積み重ねが、また私を更に大きくすると信じて止まない。