「roots」11.06.29 03:05:51 *2010移行記録より | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




これから過去記事復旧でまた出てくるので、母の部分だけ一部抜粋しておきます。


毎日毎日色々気持ち悪いので。


大切に積み重ねてきた幸せの記憶の為に。

魂や想い受け継ぎ、また繋ぐということの。



◆タイトル
roots

◆記事カテゴリ
指定なし

◆公開設定
11.06.29 03:05:51
公開


◆本文(一部抜粋略)


前記事でモコの写真に写り込んでいた母について少し語ってしまいましたが


今夜は 


もう語る者も私しかいない 


両親のルーツについて少し


誰に語るでもない 

まあ息子が読んでくれて 片隅にでも覚えていてくれたらという感じで


この時既に75歳くらいだったと思います


いつも姿勢良く毅然としていて 地域のボランティア活動等に懸命な人でした


人が良過ぎて 私はそういったことにずっと反発していたように思います




私の両親はふたり共、まだ日本の領土下だった頃の台湾台北市で生まれ育ちました。


ふたりとも旧台北師範学校を卒業して、付属の小学校に教師として勤務していました。


そこで知り合いから紹介され、付き合うようになったそうですが、当時男女が手を繋ぐことさえ許されなかったような時代に、三角関係の匂いも漂うようなドラマチックなお付き合いをしていたようです。


父は単身赴任の多い生活でしたが、母は文句ひとつ言わず私たち兄妹を懸命に育ててくれました。


見知らぬ内地、見知らぬ新潟で、「外地の人、外地の人」と言われながら、穏やかに笑い、よく楽し気に歌っていました。


ただひとつ、私が新潟の言葉で話すのを凄く嫌がったのは、母なりのささやかな抵抗だったかも知れません。

(三人の兄を持つ末っ子の女一人ということで躾の厳し過ぎる母でしたが)


波乱な人生を笑顔で生き抜いてきたこと、亭主関白な父に最期まで文句も言わず仕えたこと、人の為に一生懸命に尽くしていたこと、今ならとても尊敬できます。


私は、あなたのその何ひとつも適わないでいます。


でも、せめて笑顔で頑張ります。


私を産んでくれて、大切に育ててくれて、どうもありがとう。


今まで言ったことなかったかな。




※この中の「私は、あなたのその何ひとつも適わないでいます。でも、せめて笑顔で頑張ります。私を産んでくれて、大切に育ててくれて、どうもありがとう」
を藤●も全く同文でアップ。