旧blogやFacebookからずっと長年空を撮り続けて。
中でも最も多く、朝から休憩時間の度に、一日中空を撮り続けていた時期がありました。
にゃんずは勿論、季節毎の木々たちや月、様々な植物、可愛い花々、雨粒や雑貨など。
また不思議なもの、可愛いもの、誰も撮らないようなものなど。
とにかく想いのまま自由に無為自然の魂で想いつくままに。
今はあまり撮れなくなっていて寂しいですが。
青空に映える美しい雲の造形や不思議な形の雲などは本当に楽しくて。いくら撮っても飽きない。
でも、明るい空は勿論好きだけれど。
湿り気を帯びた曇り空のグレーの濃淡や、その陰影が物語や絵画、映画のワンシーンのように、何か静かに語りかけてくるようで。
晴れていなくても、寧ろそれを楽しんで撮っていた時期も長くありました。
空に添える言葉たちは、もう数え切れない位、膨大な写真の数だけあり。
毎日空を見上げる習慣は、現実社会の中では、気の遣い過ぎからつい無口でいるちっぽけな私の心を実にのびのびと雄弁にしてくれました。
普通に居れば、殆ど誰にも触れられない手付かず無垢がそこにあり、遙か遠いことで、また私の心をそこまで、手を差し伸べて引き上げてくれるような想いに駆られ。
とても素敵な瞬間瞬間の瞬きの記憶が、心の引き出しの中に、半透明の薄紙に大切にくるまれて、沢山増えました。
空は勿論誰のものではなく、誰のものでもないけれど、万人のものであるということ。
暮れて、月と入れ替わり、星々が瞬き、また陽が昇り朝を迎え、一日が始まる。
眩しい朝の光は全てのものの上に降り注ぐ(2011)。
ひとりひとり千差万別空へ託す想いは違う。
私にとって、空は見送った家族であり、故愛犬であり、亡き猫である。
そして敬うべき尊い魂たちの果てであり、神様のいる場所。
また希望であり、孤と自由、果てしない無限の可能性でもある。
雄大で果てのない其処を、小さな写真に収めることは本当はおこがましく。
でも、今、この瞬間、私の眼に触れたその場所への想いは私だけのものだと、一枚一枚大切に撮り続けてきました。
今回は、どうしても心そそられてしまう、グレーの濃淡。
あふれるほど沢山撮り続けてきた曇り空から、一部だけ。
@Usaginoshippo07にも沢山大切な想いを綴っていますが。
天高い青空より、ずっと近く感じて。