もし | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




もし仮に私が彼女の姉妹ならばこの写真にする。下のお二人の。


綺麗で可愛い



私は家族の旅立ちはしっかり受け止めている。

でも看ていてとても辛かった時期や病の顔は記憶から遠い。

敢えて遠ざけたんでしょう。


みな元気で幸せだったことしか思い出さない。

その為に大切な写真がある。

後世まで伝えるかっこいい家族の写真。


心理的にはそれが普通だと思う。


私の兄も以前の勤務先の友達も、多少痩せても最期までいつも通り普通で、あのようなお顔にはならなかったから。

お友達は特に、最期まで変わらずにいつも通り可愛らしい穏やかなお顔をしてた。

だから、違うショックと違和感があり過ぎて。


だからあのような仮の可能性を考えて。


9/14 06:04


2009年頃のアメブロの絵文字は、こんな感じしかなかったんですね。携帯絵文字のような。

絵文字


彼女の姉の古い記事の絵文字に、新しい今の絵文字を使用したので。

私の旧blog(au one→au one blog2009終了に伴いlivedoorへ移行)の大量にある中の絵文字や今blogとみんな一致していたり、他色々不信感あり。

調べてみたら、

あれの仲間みんなのやり口(特に遊、外、倉、藤他)と同じように、彼女もみんな後で遡って直したのかなと思い何となく納得しました。

どんどん異様に仲間が増えてる。全く気付かなかっただけで元々?

携帯のトップニュースで彼女の闘病やblog新設の記事を開かなければ、また彼女の「姉」という記事を読まなければ、全く何も知らなかったこと。

これまで遊から始まり、全て全く同じようにして、わざわざ私の目の前に現れて知らせている。

恐ろしい真っ黒ネットワークです。


遊は2011年震災前まで全く名前も存在すらも知らなかった。

倉は2014年秋初めて知り。

藤も遊と全く同じく一番の頭でやっている様子を初めて知ったのは2015年の春。
旧blogからどこも多数被害が酷くて移行した今blog内のblog紹介で初めて気付いた。