記録-前代未聞衝撃過ぎる事実の証拠①- | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




これを記録し、世の中に渡ったらたら芸能界は勿論全国民が激しく震撼するような衝撃的な事実。

前置きしますが、五年以上度々記録に描いてきたこと。

私は積極的にささやかで日常的な小さな幸せが好きで、自ら好んでそういう工夫の楽しみがある暮らしを選んで生きています。

前にも描きましたが、子供の頃から父や母に教えられ、学んできたこと。

私は誰かと自分を比較しません。「通常」で何もなければ、人様を妬んだり蔑んだりすることも一切ない。

「比較」「妬み」「嫉妬」「恨みつらみ」「見下す」「蔑む」「傲り」「いちいちケチをつける」「文句」「張り合い」「因縁」

これらは人の感情の中で最高に一番無駄でつまらない感情であると私は常に思っています。

常に描くように、ささやかでも、豊かに一分一秒、瞬間瞬間、一日一日、大切に生きていく中で、そんな時間が人生の中で一番最高に勿体無いと思っています。

だから「猫と春風の花慈しみ愛で心」また「猫慈しみ愛で敬い助け愛、教えられ、学び、心」


お付き合いでは上は立てる、更に下も立てます。

そのように生きていると損をすることが沢山あります。

でも社会生活の中では、不器用で、良いように使われたり、損をすることがあっても、それも含めて自分自身なのだと思っています。

器用に上手く表面だけやり過ごして生きるより、不器用で損ばかりしても、遠回りでもひとつひとつ納得いくまで大切に丁寧に生きたい。

性分ですし、それもまた大切な個性だと思っています。

子供の頃からは勿論、特に社会人になってからは、誰にも何も相談することなく、自分のことは自分で決めて歩いてきました。

だから何があっても後悔はしない。

あの時こうしておけば良かったなど、現在の自分を否定することですから。

だから後悔しないように、その時々で自分なりに精一杯やってきました。結婚生活も子育ても。

息子と共に生きている中で、「今現在」が「幸せである」と思えるならば、「今現在に繋がるそれまでの全て」は決して間違いではない。

それまでの全てが幸せだったと思える。

旧blogからずっと描いてきましたが、年を重ねて振り返った時に、それまでのどこを切り取っても、幸せな笑顔が蘇るように、だから「今、この時々、瞬間瞬間」をささやかでも幸せに生きたい。

そんなささやかなそれさえ毎日毎日大人数から九年以上も片っ端奪われ続け、悪用され脅迫。