金魚鉢 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




前記事の「もうひとつの地球」の話しのように、子供の頃から四つ上の兄は、いつも不思議な話しを沢山してくれて。

宇宙や神秘の話しが多いのですが、ただ漠然としているのではなく、常に緻密で具体的で、例え突飛でも「絶対有り得ないとは言えない」という話ししかしなかった。

だから余計に子供心に「わくわく」として。


そんな中のひとつに。

「宇宙は金魚鉢」という話しがあった。

旧blogか古いtwitterに描きました。


宇宙は無限に膨張する空間である。ビッグバンや。それが通説。

しかし宇宙の果てを観てそれを確認した人がいるのかな?


兄が子供の頃に話してくれたのは、

宇宙のずっと果てに、巨大な神のような人間が居て、「宇宙と言われている金魚鉢」を眺めているという話し。星々は生きた生命体で。

私達人間が金魚鉢を眺めている金魚鉢が宇宙。


確かに金魚鉢や水槽には宇宙が広がっている。

目に観える金魚は勿論、顕微鏡でしか観れない微生物や。

微生物にもさらにナノの細胞が蠢いている訳で。

有り得ない話しだけれど、その有り得ないは100パーセント「絶対」とは言えない。

「絶対」というのは、ほんの少ししかない。と父がよく話してくれていて。


そんな風に兄には、小さな頃から、例えちっぽけな存在であっても果てしない想像力と緻密な理性、豊かな感情や感性を沢山学んだ気がします。



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