こころ | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




穏やかな仕事日和。

お客様も少なく、静かにじっくり落ち着いて任務+α遂行できました。

帰り道、外はもうすっかり初秋の風。

半袖では肌寒いくらい。


少し早い気がしますが、静かに秋への入れ替わりの季節。



お疲れさまです。
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リアリー?!オーマイガーッ!
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英語はヒアリングも駄目だし会話もできないので、こんな感じで相槌打てば、何かしら通じるかな?みたいな。



メリハリメリーの部活動、ひとり遊び。

加工してみました。ちょっとアート。

ぷっ。

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今日は静かな悲哀の心を表現してみました。

ただの表現です。

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悲哀という感情は、自分の中で静かに消化します。

旧blogにも描きましたが、悲哀のほとんどは、自分の心が作り出した産物で。

しかしその悲哀という感情は妙に甘美な味がしたりもするので、その大小の度合いは違っても多分誰もやめられない。

ふとした時に、悲哀に満ちて涙を零す。

その涙が、すーっと素直な心を取り戻してくれることもあり、妙に心地良かったりもする。

ただ浸り過ぎないことが大事かなぁと思う。

一瞬その情に溺れても、素直になれたら直ぐに切り替えて、目の前の現実に手を触れる。

想い、掘り起こせば、私にはいくらでも悲哀の情に溺れられる。

でもそこにとどまっても、鎖に巻かれてしまうだけ。

旅立ったものたちを慈しみ愛で弔う程度の悲哀にとどめて、愛情を確認できたら 、また次の支えとします。

溺れきってしまわないように。

膨大に過ぎ去ったことの。

大切な幸せの記憶と。

そして明日笑えること。

どちらも私には大切で。

全てが生きる力となり。今。地を足底から感じながら。小さなここから。気持ちは常に上へ。両手を伸ばして。空へ。爪先立ちの。心。


それがずっと私なんだろうと思う。


なんて。



続く。



18:28