優しい一日 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)




また以前からアップしている写真。


穏やかで静かな休日の昼下がりの。

小児科の待合室みたいですが。

心穏やかになれて好きで。

いつも小さな我が家は、こんな風に静かで。
1502101438

150210_1438~010001.jpg


テレビも視なければ、ほとんど音もなく。

耳の奥にシーンと静寂の音だけ。

脳が自由に解き放たれたり、また良い感じでキューッと突き詰められたり。

それがまた心地良く。

1501131428

150113_1428~01.jpg


私と猫たちだけの空間。

どこからも隔絶されて。

三匹と私が一体化されるように、同化して何かが通うような。

私が猫になるのか、彼らがヒトになるのか。

そんな感覚。
1412231417

141223_1417~010001.jpg


なんて。

穏やかで優しい一日でした。

夕方からは、また活字に触れてみたり、記事を読み直してみたり、日記帳を開いて小さな文字で埋めてみたり。


twitterやblogに描き慣れているこの頃。

ノートに文字にして描いてみると少し違和感があり、何か違うかなと思ったりする。

ずっと小説を描いてきて、いつも先ずはメモ帳に原稿用紙250枚分の下書きをしていた。

それが私の常で、私だけの特別の世界と空間にいて。

それに対してtwitterやblogは、やはり誰かしら相手に向かって発している。

その誤差というか。
差異のようなものがあり。

慣れてしまった感覚から、また以前の感覚を取り戻すのは難しいかなという感覚も多少ある。

でもノートに小さな文字が沢山埋まっていく。

小さな頃から好きだった、その感触をまた楽しんでいて。

先ずはそれだけでもいいかな。

ゆっくりじっくり心のリハビリテーション。

楽しんでいると一日が長い。

夢中であっという間というのとはまた違う。

穏やかにじっくり堪能する一日という感覚。

高価より贅沢な。

今年こそは、またその感覚を一日一日忘れないようにいたいな。

それはとても満たされた穏やかな眠りをもたらし。


続く