ネグレクト的な家庭環境で育った私は、親からほとんど何も教えられず、親に頼ることも相談することもできずに、幼少期から高校生までを過ごしました。

そのせいで、色んなものが欠落した、歪(いびつ)な人間になってしまっています。持ち合わせていない「常識」や「当たり前」も数多くあります。普通の家庭で育った夫を間近で見ていると、それがよくよく分かります。

もちろんそれは事実なのですが…

別の角度から見るなら、また別の事実も出てきます。例えば…

ネグレクト的な家庭環境だったおかげで、周りの家と比べて何かおかしいと思い、これは何だと考えるうちに、何事も深く思考する人間になりました。

ネグレクト的な家庭環境だったおかげで、会話の大切さを痛感し、対話をとても大切にする人間になりました。

ネグレクト的な家庭環境だったおかげで、周囲に甘えず、何でも自分でやる人間になりました。

ネグレクト的な家庭環境だったおかげで、多くの人が当たり前にしているもの(親の愛情、この世界への安心感、自分への信頼…)の有り難みがよく分かる人間になりました。

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三つ子の魂百までで、私はまともな母親にはなれないでしょう。でも、それだけが良き母親ではないはずで、私は「私らしい母親」になるのが、自分がなれる最大限の「良き母親」ではないかと思い巡らせます。

「私らしい母親」というのは、「自分らしさの長短を知りつつ、総じてそれを好ましく思っている母親」かなと、今日は考えています。

妊娠すれば出産まで待ったなし、出産すれば2人育児が待ったなしの現実だからこそ、こんな事をあれこれ考えるゆとりのある妊活期は、貴重にも感じられます。

私は、長男の時も次男の時も、妊娠初期にNIPTを受けました。

長男の時は、一般的なNIPT(染色体異常の検査)を受け、結果は陰性でした。ところが、染色体異常とは関係のない、非常に稀な遺伝子疾患だったことが、長男が亡くなった後に判明しました。

そのため、次男の時は染色体異常に加えて、数百の遺伝子疾患も検査できるNIPTを受けることにしたんです。

親の遺伝でも母親の年齢や体質等が原因でもなく、たまたまの偶発的なものだと、複数の医師から何度も説明を受けたものの、「もし次の子も同じ疾患だったら…」という不安が拭えなかったからです

結果は陰性で、次男は1歳2ヶ月になる現在も、元気に生きてくれています。

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これらの経緯を踏まえて、次に妊娠したらNIPTをどうするかえています。

夫は、「エコーで何らかの異常を指摘されない限り、受けなくてもいいのでは」という意見。

私は、長男のことがあってすっかりエコーがトラウマになっているので、NIPTを受けてトラウマを幾らかでも和らげたい気持ちあります。

死別と流産を経験して、エコーがトラウマになりました | 40代の妊活を丁寧に語りたい (ameblo.jp)

結果が陰性なら、妊婦健診の度に夜も眠れないほどになるエコーの不安が和らぐし、

もし結果が陽性でも、精神的ショックから始まってその事実を理解し、子どもの受け入れ体制を整えるまでの時間を確保できるからです。

長男の時のように、その日の妊婦健診でいきなり異常が見つかって、その2時間後に緊急帝王切開となっては、あまりの時間的猶予のなさに冷静な判断ができず、事態がトラウマになってしまう可能性が高い気がして。

次に妊娠検査薬が陽性になって、化学流産ではなかったら、何週でクリニックを受診するか。稽留流産では無さそうだったら、NIPTを受けるのか。受けるとしたら、どこでどんな検査を受けるか…

いざ妊娠したら待ったなしなので、今の長い長い低温期に、そんなことを考えます。

そうやってNIPTのことを考えていると、最近は夜泣きなど次男の心配事にばかりフォーカスしていた意識が、無事に産まれてきてくれて有り難いなぁ」という方向に自然と向き直ります。

夜泣きがあっても何があっても、まずは次男が元気で生きていてくれる事に感謝です。

私の個人的な話になります。

幼少期から、ネグレクト的な家庭環境で育った私は、親から褒められる事も叱られる事もほとんどなく、自分を見てくれているという手応えの無いまま大人になりました。

その一番の弊害は何かと考えると、「愛情不足」です。

 

実際に、親にどのくらい愛情があったかに関わらず、「私が親の愛情を実感できなかったこと」が弊害だと思っています。

なぜなら、「愛情不足」つまりは「安心不足」のせいで、常に不安を感じている状態がベースになってしまったからです。

【親の愛情充足の夫】

「自分はこのままでいい」(自己肯定感)

「自分一人で大抵何でもできる」(自信)

「きっと何とかなる、うまくいく」(楽観的展望)

 

【親の愛情不足の私】
「自分は、このままではいけない気がする」
(自己否定感)
「何だか一人では心細い、心もとない」(自信不足)
「何となくうまくいかない気がする」(悲観的展望)

…夫と話し合うと、端的にこれだけベースの違いがあります。

 

そんな私の「疲労回復」兼「長い長い低温期の過ごし方」兼「ゆる人生」の一歩目は、

「毎日食べ物を摂取するように、毎日褒め言葉を受ける」

 

…だろうねと、夫婦会議の結果決まりました。

つまりは、安心感(言い換えれば、自己肯定感、自信、楽観的な展望など)を毎日摂取するわけです。

そういった話を夫としていて、ふと思いました。

 

愛情不足で育ったかどうかに関わらず、40代妊活にも同じことが言えるなぁ、と。

40代妊活は、年齢を理由に、世間やクリニックから否定的・批判的な言葉を受けることが多いです。また、他の年代に比べて身体的なリミットや流産率の高さがあるので、どうしても悲観的な展望になる日が出てきます。つまり、妊活に対して、不安がベースにならざるを得ないのでは、と。

それで、どうやって妊娠しやすい身体づくりをするのか…

 

結構、真逆の環境に置かれている気がします。

「あなたはベストを尽くしててすごい」

「もう十分頑張ってる」

「大丈夫、きっとうまくいく」

「一寸先は光だよ」 ……

親の愛情不足で育ち、且つ40代妊活をしている私の実感として、両者には「毎日の褒め言葉が大切」という共通点があるように思います。

経験豊富な大人になり、周りから褒められる機会が減った(逆に周りを褒める立場になった)40代だからこそ、褒められて、認められて、評価されて、安心感の中で生きたいなぁと、切に思います。

今日で、生理開始から25日目になります。

排卵検査薬は、依然として真っ白…

今周期は、血液検査の結果からLHとFSHが尋常じゃなく低かったので、排卵がかなり遅いだろうと予期していました。

が、25日目でも真っ白だと、やはりガッカリする気持ちも出てきます。

次男の妊活時は、低温期の平均日数が25日でした。あの頃はそれで随分悩みましたが、今思えばまだ早かったように感じます。(何事も相対的なものですね。)

ある程度疲労回復して、LHとFSHが基準値内に戻るまで、少なくとも3ヶ月はかかると見込んでいるので…

その間、どういう心持ちで低温期を過ごすか悩みます。

私はD18以降が鬼門で、来る日も来る日も排卵検査薬を使って真っ白なのを眺めながら、陽性になるのが1週間先か、2週間先か分からない中を過ごすのが地味に消耗します。

さりとて、現状には排卵誘発剤も効かず、疲労回復を待つしか手はないので、消耗しようがしまいがどうすることもできないのですが。。

こういう状況の時は、方針が定まらずに、気持ちがあっちにふらふら、こっちにふらふらしているのが一番消耗する気がするので、周期で暫定的にでも方針を決めたいです。

ゆる人生に則ると、どういう方針にするのが一番気持ちが楽になるか、という決め方が良さそうです。

PCOSなど排卵障害の方は、この長い長い低温期をどんな心持ちで過ごしているのか…あれこれ聞けたらいいのにと思います。

どこかに、低温期が長い女子会ないかな…

昨夜は、ものすごく久しぶりに、次男の夜泣きが一回で済みました

おかげで、23時半から6時半までの間に一回起きただけ。それ以外は眠ることができました。

朝になって、「こんなに眠れたのはいつぶりだろう!?」と感動に打ち震えたので(笑)、昨年のスケジュール帳を見返してみたんです。

すると、前回同じように眠れたのは昨年の5月27日…実に11ヶ月ぶりでした。

(それ以降も、夫に代わってもらって別室で眠る日はあったものの、ここ数ヶ月は夜泣きが酷く夫婦二人で見ていました。)

以前の記事で、「40代で妊娠・出産し、子育てするのは体力的にきつい」という一般論に対して、「寝れさえすれば全然大丈夫」という持論を書いたのですが…

「40代で出産・育児は体力的にきつい」に対する持論 | 40代の妊活を丁寧に語りたい (ameblo.jp)

本当にその通りだと、改めて実感します。

昨日まで、あまりの寝不足に意識朦朧として気持ちも落ち込んでいたのが、今日は意識がスッキリ。身体に力が入っていたのも自然と緩み、ベビーカーを押す足取りもゆっくり。気持ちも穏やかです。

予期せず訪れた幸せに感謝しながら、今日は菩薩顔でのんびり過ごせています。