次男の妊活時も、今の妊活も、「どうしても子どもが欲しい」「何とか今周期でうまくいって欲しい」という執着があります。

そこまで執着を意識しない時もあるのですが、フライング期に成功ならずと分かった時は、毎回強い執着を自覚します。それだけドーンと落ち込み、2〜3日は自暴自棄になるからです。

これほど子を持つことに執着し、固執しているのは、天使ママなら仕方ないとか、妊活している女性なら自然なことだと思ってきました。

が、、、

最近になって、

「執着って、叶わないかもしれない不安が本体なんじゃないか…」

と思い始めています。

つまり、子どもが欲しい思いを強く強く握りしめて、どうしても叶えたいと執着するのは、「叶わなかったらどうしよう」「叶うとは思いがたい」と不安だからじゃないか。だからこそ、気になって仕方ないんじゃないか、と。

その証拠に、夫にはそんな執着が微塵もありません。

「必ずベストなタイミングでうまく行く」と確信している夫は、ざわざ執着する必要がないと言うか、放っておいても叶うと信じている印象です。

執着するほど強く叶えたい気持ちは、実は不安の強さの表れだとしたら…

私はどうして「叶うとは思いがたい」気持ちがベースにあるのか

カンカン照りの暑い夏の日に、ひっそり静かに不安の正体を考えています。

自分の妊活を考えていて、ふと気になりました。

40代だと、妊活期間がどのくらいまでは「まあ普通だよ」「そのくらい当たり前だよ」と思えるのだろう、と。

例えば、同年代の友人に悩み相談を受けたと仮定して、

「妊活始めて3ヶ月経つんだけど、まだうまくいかないんだよね(ため息)」
「そんなに短いなら、まだうまくいかなくて当たり前だよ」と内心思う

「妊活始めて半年経つんだけど、まだうまくいかないんだよね(ため息)」
同じく、「そんなに短いなら、まだうまくいかなくて当たり前だよと思える

「妊活始めて9ヶ月経つんだけど、まだうまくいかないんだよね(ため息)」
「40代なら、そのくらいの期間は当たり前じゃないかな」
と思う

「妊活始めて1年経つんだけど、まだうまくいかないんだよね(ため息)」
同じく「40代なら、1年くらいかかっても当たり前じゃないかな」思える

あくまで私の感覚ですが、少なくとも1年までは「想定内」であり、「40代なら当たり前」と思える気がしました。(もっと先まで考えると、2~3年かかっても自然じゃないかと。)

と、言うことは…

翻って我がことを考えると、昨年11月から三人目妊活を始めた私は、現在で8ヶ月になります。

43歳なら、まあ当たり前かも、と思えました。

しかも、生理周期が長い上に、地道なタイミング法なわけです。

むしろ、それでため息をつく方が、「なにを非現実的なこと言ってるんだ」と夫に一喝されそうです。

今の経過が順当であり、もしかしたらこれで順調、なのかもしれません。

妊活7周期目に入って、面白いことが起きました。

低温期の短縮ぶりが圧巻だったんです。

初めてレトロゾール2錠を服用し、先日、D13でエコーに行った時のこと。

前周期のD13頃は、卵胞が全く育っていない時で、追加の排卵誘発剤を飲むことになったタイミングでした。

そのため、今期も追加の薬を貰おうと、何の気なしに行ったら…

な、なんと…

卵胞径が23mm!!

エコー室で耳を疑いました。

おかげで、今期の低温期は14日と、驚異的に短くなりました。
(前々周期38日→前周期24日→今期14日)

妊活前の30代の頃も、低温期は短くて16日くらいだったので、過去最短と言っても過言ではありません。

ジーンと感動に打ち震えるくらい、嬉しい驚きでした。

あまりにも想定外でうまくタイミングが取れなかったので、残念ながら今期の成功はありませんが、今後に繋がる大きな一歩を感じました。

今までは生理周期があまりに長く、妊活チャンスが1ヶ月半〜2ヶ月に1度だったのが、この調子でいけば1ヶ月に1度チャンスがやってくるからです。

1ヶ月に1度だったら、私にとっては「今期がダメでもすぐ次がやってくる」スピード感です。

とにかく次は、空振りでもいいからD10までに一度エコーに行こうと思います。

二人目妊活を一緒に頑張ろうと意気投合した矢先、自然妊娠したと報告があった30代前半のママ友がいます。

その報告の後、彼女はつわりが酷くなったことで、私は心が揺れたことで(やっぱり30代前半だと早いなーとか)、何となく連絡が疎遠になっていました。

それが昨日、

ママさんイベントでバッタリ遭遇したんです。

もう21週に入ったとのこと。

最初は心揺れましたが、疎遠になっていた事が気になってもいたので、会えてホッとした気持ちもありました。

つわりは落ち着いたらしく、これからはちょこちょこ会おうねーと話して別れました。

「妊活から意識を離して、心穏やかに過ごしたい」と思ったその週に、普段は起きない心揺れる出来事が立て続けに起こったのは、何となく偶然ではないがします。

妊活仲間の出産報告に心揺れる | 40代の妊活を丁寧に語りたい (ameblo.jp)

と言っても、どんな必然かは分からないのですが。

 

少なくとも、想定通りの毎日だと、想定通り、いつも通りの展開にしかならない気がするので、いつもと少し違うということは、何かちょっと面白くなるのかもしれません。

「もう一人子どもが欲しい。夫の言うように、きっとベストなタイミングで授かるはず。でも、年齢要因もあるし、化学流産続きだし、ダメだったらどうしよう…」

妊活成功を願ったり期待したりする時、私の「でも」はずっとこの位置でした。

ところが、最近本を読み漁っているうちに、「でも」の位置をズラしてみようと思い至りました。

「もう一人子どもが欲しい。夫の言うように、きっとベストなタイミングで授かるはず。と言いながら、年齢要因もあるし、化学流産続きだし、ダメだったらどうしよう…と思う気持ちも出てきて当たり前。でも、何だかんだ言って結局はうまく行くんじゃないか」

最後の最後に逆説が入ると、気持ちがグッとゆるみます。

本気で妊活をしていれば、ネガティブな気持ちも出てきて当然と言うか、出てこない方がおかしいわけです。なので、そこまでを成功期待の標準セットにしてしまえば、気持ちが随分と楽になるなぁ思いました。

ものすごく些細なことではありますが、言葉の持つ力を信じている私は、この発見に結構嬉しくなっています。