先日の5/10

7年と少し勤めた会社の最終出社日でした。
次月から新しい会社にjoinする予定です。


プレゼントと寄せ書きとお花

ありがとう、嬉しい💐



振り返ればこの7年間、あっという間だったなぁ、と思いつつ本当に色んな経験をさせていただきました。

会社の看板がなければ、私の人生において交わらないであろう方々にお会いすることが出来て、お仕事でご一緒させていただく機会もいただいて……

前職は新卒で入社したら最短でも35歳くらいにならないとマネジメント経験をさせてもらえないような会社だったので、育成しかり、マネジメント、そして新チームのたち上げ、グロース、仕組み化、戦略設計など様々なチャレンジをさせていただきました。

採用基準が「素直いいやつ」と定まっているからこそ、ネガなことを言う人がほとんど居らず、なんなら「やろう!がんばろう!」と常に前向きで、組織活性の取り組みが盛んで。

今の会社は2社目なのですが、新卒入社した1社目では「個人」での達成率が毎日全国、地域、部署別に晒され、常に「同僚全てがライバル」。

そこからいまの会社に転職し、個人だけではなく「チームで戦う、達成する」というチームプレーの根幹を教えてくれたのが今の会社でした。

例え自分がやりたいミッションとは少し異なっていても、そのミッションがチームにとって必要ならば「全力でチームのためにがんばろう」と思えたこと、そして「チームのために何ができるか」ファーストで常に考えることが出来たのも、ひとえに組織の皆が大好きだったからだと思います。

本当に沢山お世話になりました。
育ててくださりありがとうございました。

そして応援してくれてありがとう!

この場をかりて御礼申し上げます。



そして、

そんな大好きだった会社を転職するきっかけとなったのは、今年元日の地震で被災したこと。


18歳で東京に出てきて今36歳。

途中で前職の兼ね合いで2年半別の地域にいたこともあったけど、すでに地元にいた年数と同じ年数を東京で生きてきたわたしは、「このまま一生東京で生きていく」と決めていました。

でも、あの被災体験はそれを容易く覆すには充分すぎるくらいとても辛かった……

いつ思い出しても簡単に涙が出そうになるけど、避難所からまた別の避難所へと移動しながら、しかも断水して水も使えず、幼い我が子は39度近い発熱。

詰んだ……

と思っていた矢先、義理の妹家族が余震が続く、かつ液状化して地割れした道路を夜にもかかわらず車を飛ばして迎えに来てくれた、あの時のありがたさ。

そして、そんな緊急事態のさなかにも関わらず、家族が揃った時の安心感。

この、自分以外の誰かを守らなければいけない、死なせてはいけない、とすごく怖かった気持ち、そして家族が揃ってホッとした気持ち。

この2つは私の「一生東京で生きていく」を180度覆すには充分な理由だったので、「地元に生活の拠点を移そう🏡」と、自分と家族の人生の軸足を大きく変える決断をしました。

そこから現職の仕事をやりつつ育児・家事もして、寝かしつけ後にまた机に向かって企業研究やら自己分析やら職務経歴の棚卸し、面接対策…と毎日夜中までやりました。(今思い出してもしんどかった、辛くて辛くて泣きながらPCカタカタやった日もある👩‍💻)


落ちたら帰れない、そう思うと夜中1時2時頃のメンタルがめちゃくちゃキツかったし、寝ても朝がきたらまたこの試練のような1日が始まる、マジで寝ている時以外毎日地獄でした……


ログ厨の私がブログも書けないほど。

(2.3月が佳境でずっとメンタル死んでた)



そして坊っちゃんがまたね。


体調を崩すからどうしようもなくて地元から高齢の実父を呼びつけてベビーシッターを初めてお願いしたこともありました。


その時の写真(笑)予期せず家族で浅草観光となりました

※ちなみに往復の新幹線代とベビーシッター代で父には3万お支払い。面接1時間の子守りためにw


お父さん、ありがとう。

困った時いつでも駆けつけてくれる父は私のヒーローです。本当に。


こうして家族の協力を得ながら希望を捨てず色々取り組んだお陰様で内定を貰えました。



という感じで、


書いてないこともまだまだ沢山あるけれども、今後は、坊っちゃんが小学生になる前には地元に戻って、自分好みの注文住宅を建てるのが私の夢☺️

これからの人生は今の自分の家族が、元の自分の家族と過ごす時間を作ることを大事にして生きて生きたい。


これに勝るとのは無い、と思ったのがあの被災を経た私の悩み悩んで出した「結論」で、「家族が揃ってご飯を食べる」ことが年2.3回の特別なイベントにはしたくない、その気持ちが今回の転職活動を最後まで踏ん張りきれた「原動力」でした。


東京にいれば坊っちゃんの進む道、してあげれる教育、地元よりも選択肢が多いかもしれない。


(別に地元を下に見ているわけじゃないです、小中の私立校の多さは現に違うわけだし)


でも、坊っちゃんがもしかしたら家を出ていくであろう18歳までの間に、家族で過ごせる時間を作ることにフルベットしようと決めた私と夫がした「選択」はこれでした。



とはいえ、本当に移住するにあたって


①私の転職 ⇒一旦クリア

②夫の転職、ないしは社内調整

③マンションが無事売れる

④保育園空きがある


などなどまた色んな壁があるし、なんなら叶わず結局東京で生きていく、という決断をすることもあるかもしれないけど、1個1個スモールステップ切ってチャレンジしていこうと思います。


やってやれない事はない。

人生1回きり。


私は自分のキャリアも、自分の家族と過ごす夢も絶対諦めずに絶対叶えたい。家族ももう1人くらいは増やしたい。移住して戸建てに住むなら三人兄弟だっていい訳だし😊(こればかりは授かりものだから叶えばいいな、くらい)


そして、自分で建てた注文住宅の一軒家で、自分のお気に入りの空間で働きながらキャリアアップも目指したい。


やっとスタートラインに立てたのでこれからまたアンラーンして頑張らないと。


とりあえず次の会社は未来永劫、辞めるまではフルリモートかつコアタイムなしのフルフレックスの会社なので、坊っちゃんの小一の壁&学童問題は頭を悩ますことはなさそう。あとは親の介護とか。



40歳までには叶えたいな。



これからまたチャレンジの連続で大変なことも沢山、山ほど出てくると思いますが、今の会社で育てていただいたことを糧にして乗り越えていきたいと思います。


長く拙いブログを最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


そして本当にお世話になりました。

ありがとうございました。





おわり。