今回、アルジャーノンのコンテンツ、全く初見のリア友との観劇だった。
(ウィキペディアであらすじの予習ぐらい?)
で、見終わって、この話のテーマは何なのよ?と問われた。
その時は「『たられば』の幸せは、結局叶っても本当の幸せにはなりにくいってことかなぁ」と答えたのだけれど、あとから考えると、チャーリィは「実験に参加してよかった」と思っているし、逆の意味合いの、「勇気(と努力)を持ってチャレンジすることの尊さ」もあるんだよなぁ…
「これ」とひとつの結論は出せない多様なテーマを持つのが、このお話の褪せない魅力なのかも。
リア友は、いろいろあって、「チャーリィにはひとっつも共感できない。」「周りの人たちには、いちいち共感できることがあった。」とのことだったのだけれど、私自身も、前回の「どうしても見たかった『浦井くんのアルジャーノン』!」に、プラス、周りのキャストの演技の細やかさが心に染みた。
自分の生活でも、前回の浦井くんチャーリィ時とその後は、祖母の長い認知症生活からの逝去や、子どもたちも先行きが見えない状態があったり(そのまま行くと、もし働けないとなったら、居場所となるところがないかも…と不安な日々だった。)、義父母がそれぞれに認知症かも?から突然亡くなったり、チャーリィよりの当事者について考えることが多かった。
それに対して今回は、父親のその後、母親、妹、職場の同僚それぞれの立場に寄り添って思うことがいろいろとあり。
個人的には、母親が必死にチャーリィを治療しようとするところ、最新の知見や正確な知識にアクセスするのは難易度が高いのに、エセ科学の金儲けや宗教絡みのお節介は、なんと巧妙に困っている人を見つけてしつこく近づいてくることか!と苦い思いが甦って来る。
このお話って、ほかにも、障害児のきょうだい児や、老親を頼れる人なく見なくてはいけない子どもや、書かれて何十年も経っても解決しない…というか、むしろ21世紀に入って更ににクローズアップされてる問題がすごくうまく織り込まれていて…。
ドナーさんのベーカリーも、組織的に同様の事業をする場所が出来たり、障害者を一定割合雇用するよう法律が出来たりしたわけだけれど、そこで起こる細かな問題たちには、これ!というシンプルな答えはないわけだし。
チャーリィの人体実験にしても、それがやって良かったことなのか逆なのか、正解はないことを提示しているんだと思う。
原作本の解説に、原作者本人が「どうやってこんなお話が書けたのか、それは私だって知りたい。」と書いているけれど、まさにどこか大きな所から降って来たとしか思えないお話、と今回の観劇であらためて思ったことだった。