Osho | なつの恋

なつの恋

30歳、なつの恋や、仕事や、日々思った事を書いてみます。

あなたが
いつも人に認められる必要を
感じているのは、
自らが
自分自身を受け入れていないからだ。
だから
それに代わる代用品として、
人に認めてもらいたくなる。

いったん、
自分自身を受け入れたら、
人が自分のことを
良く思おうが悪く思おうが
問題ではない。
どう思うかは
彼らの問題であって
あなたの問題ではない。
自分が自分のやり方で
人生を生きていれば、
それを他人がどう考えるかは、
もうあなたの問題や心配ではない。

 あなた方は
本当に子どもの時から、
自分はそのままではいけないのだ、
という考えを絶えず浴びせられ、
頭に叩き込まれて来た。
こう振る舞うべき、
ああ振る舞うべき、
そうして初めて
自分は受け入れられるのだと。

だから
人々が自分を受け入れてくれ、
評価してくれ、
尊敬してくれたら、
それが
自分が良い人間だということを
意味すると、
あなたは考えるようになる。

 だが
自分を受け入れていないために、
このことが
世界中の誰にとっても
問題のすべてを創り出している。
誰もが
他人の意見に依存するようになり、
他人の意見に支配されている。
こういう単純な事実を見て、
私は他人の意見を気にするという
考えを捨てた。
するとそれは、
まったく名状し難いような自由を
私に与えてくれた。
ただ自分自身でいられるということは、
非常な解放感だ。

 もしあなたが
人々の中に出て行って、
人に出会うことを
恐ろしいと思っているとしたら、
それはあなたが
自分をひどく空虚なものに
感じているということだ。
だがそうあるべきではない。
人は自分自身で溢れているべきだ。

他の誰の意見でも評価でもなく、
自分自身の活気と
心からの喜びで溢れているべきだ。
そしてそれこそが、
私が意図しているものだ。

 瞑想は人に権威を、
力を与える。
その権威と力は
他人を支配するためのものではなく、
ただ誰もその人から
奪い去ることのできない力の質であり、
権威という質だ。
それこそが、
その人間のものだ。

自分自身の足で立ちなさい。
聖者であろうが罪人であろうが、
自分が何であれ、
誰からも奪い去られないように、
ただ自分自身を
拠り所にしていなさい。
大衆の意見に支持された
聖者であるよりは、
自分自身の足で立つ
罪人の方がましだ。