向き合う | ココロハレルヤ

ココロハレルヤ

日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

あるがままのわたし

向き合うこと




ざわざわ


むずむず


ぐっ


がーん


どきどき


うっ


ぴりびり


さーー


うきうき


わくわく


はっ


むーん


むかっ


ちっ


わーん



こうやって

ふっ

出てきた降りてきた

感覚や感情を

そのまま

すくいとってゆく


いま

かなしんでいいんだ


いま

笑えてていいんだ


いま

腹が立ってていいんだ


いま

こんなこと思ってもいいんだ


いま

やさしくしていいんだ


いま

ほっといていいんだ




いままで

ひどいと

捨ててきたところも


素晴らしいと

握りしめてきたところも


のっぺりして

放置していたところも


出てきたところで

すくいとる


出てきたままで

すくいとる


掴みにいくのではなくて

感じよう

感じようとするのではなく


ただただ感受する

感じられるものを

大切にすくいとる



そこに

取捨選択

はいらない


すべての感情

感覚に

意味がある

意味がないとしても


共にいる


という感覚


ただ

起こってきた

湧き出してきた

わたしを

感じる


体中で

心いっぱいで


感じているときは

思考のわたしは入れてはいけない

他人も入れてはいけない

どんなに好きなひとでも

神様でさえも


感情や感覚は

とても繊細で

薄氷のようなものだから

ほかの刺激に晒すと

溶けてしまうから


まわりに誰がいてもいなくても

ただひとりで

感じる

ただわたしだけを

感じる


そして

どうして

そう

感じているのか

思うのか


ひとつひとつを

丁寧に問答する


見張るのではなく

ぼんやり眺める感じで


あるがままの問いと

あるがままの答え



どうして悲しいのか

どうしてうれしいのか

どうして?

どうして?


とっさに出てくる

言葉に耳を貸す


どうして?

どうして?


そうしていくと


わたしの決めてきたこと

信じてきたことが

見えてくるよ


見えてきた

今まで

守ってきてくれた

わたしというものを

(ルールや価値観)

ねぎらい

心から感謝した

あなたのお陰で

今があるんだ

ありがとう

ってね



そして

そこから

取捨選択するんだ


今は

こうしてもいいし

こうしなくてもいい


こうしないといけない

とか

こうしたほうがいい

という答えなら

もう一度


どうして?

どうして?


繰り返す


何を選んでも

いいんだと

心から思えるまで



大切にするって

こういうことなんだろうな


育てるって

こういうものなのかもしれないな


それぞれが

自分自身と向き合えていれば

わざわざ

ひとを育てる

なんてこともしなくてよい


そうなれば

ほっとけばよい


寄り添い方と

向き合い方を

伝えるだけ


稽古と同じだ


日日のなかで

ひとつでも

感受し

全身で味わい

それによる気付きを受け入れ

考え

選び

行動する


それを

コツコツ

あきらめずに

やってゆく




これを

精進

というのかな




ありのままの

わたしと繋がる


ありのままの

わたしを生きる


わたしという物語を

紡ぐのだ