わかりたい | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

お前は

わかっとらん


なんも

わかっとらん


なにがわかっとらんのかも

わからんだろうが


何を言ってるのか

よくわからん


考えてることが

よくわからん


言われてきた



そうなんだ
わからない

だけどね
わかりたいんだよ








ひとのことを
理解できるひとが
うらやましかった

いろんなことが
わからない
生きてきたわたしだったから

大切なひとのこと
大切なひとの気持ち
わからなくて

それは
悲しいことだった
淋しいことだった
悔しいことだった
辛いことだった


わたしのまわりには
優しいひとばかりで
悲しいことや
辛いこと
苦しいことや
寂しさを
心の奥にひっそりと
置いて
微笑むひとが多かった

そして
怒るひとも多かった

わたしは
どうして
怒るのか
知ろうともせず

また
怒ってる

ぐらいにしか
思ってこなかった

微笑むひとには
微笑んでいるから
楽しくて
幸せなんだろうと
そのひとの
ほんとの気持ちを
知ろうとも
しなかった


いつしか
わたし自身のことも
わからなくて
どれが本音かもわからなくなっていた


そして
心のことを学んでから
ひとつひとつを
紐解いて

怒っていた父の心配や悲しみや寂しさを
怒っていた先生の期待や愛情や寂しさを
怒ることもたくさんあったけど
わたしに心配をかけないように
いつも
微笑みかけてくれる旦那さんの
寂しさや悲しさや苦しさや辛さやしんどさを
わたしは
わかっていなかったなぁ

わかったんだ

そうして
わかってあげられなかったこと
ごめんねと
父と旦那さんに
謝った1年前



わたし
わたしにも
謝まらなくっちゃ

わかっとらん
よくわからん
って言われてきた

わかってもらえない
悲しさや寂しさや苦しさや辛さを
一番知ってたのは
わたしじゃないか









大切なひとのことが
わからなくて

もやもやした

このもやもやはなんだろう

とにかく
もやもやを感じながら

どうして
このわからない
目の前に何度も持ってこられるのだろう

自分に問うたとき

わたしのこと
誰にもわかってもらえなくても
わたしだけは
わかろうとすることをやめたくない

って
決めてたことを
思い出し

わたしは
昔の
わかってもらえなかった痛み
を思い出した

そして
同時に
わかってなかったのはわたしで
わかろうとしてくれる
わかってくれるひとが
居たことに気付くことができて
涙ながらに
感謝した

痛みとありがとう
わたしを包み

あぁ
わたしも
大切なひとのことを
わかりたいんだ

感じた


わかることは
できないかもしれないけれど
わかりたい気持ちで
わたし
居られてたかな



話をしても
テレビを見ても

人を理解しようとする

そんな言葉や役柄ばかりが
目に写る


「障がいとは理解できないこと」

そうだ
お互いが
理解しようがしまいが
「わかろうとすること」
どれほど大切なことなのか
どれほど嬉しいことなのか

わたしと
わたしの
まわりのすべてが
教えてくれた





そしたら
もやもやがいつしか晴れて

心地よいです












あなたのことを
知りたい

わかりたいんだよ

いつものように
「わからーん、どーゆーことー?」
って
笑って聞くかもしれないけれど😁



はみでした