優劣 | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

わかること

わからないことに

優劣をつけていた



モヤモヤしていた 

わたしは
わからないことの方が多くて
どうしてそう思うのか?
どうしてそう思わないのか?
どうしてやらないのか?
どうしてそうするのか?

という
ひとのわからないところを
わたしの中にないから
という理由で終わらそうとしていた


わたしはわたし自身でわかろうとしてるか?

ひとの言う「わかる」を「わたしのわかる」にしようとしていないか?

「ひとのわかる」が優れていて
「わたしのわからない」は劣っている
思い込んでいるから
ひとのわかるを採用したんじゃないか?
気がつき

そして何よりも
わたし自身が大切なひとのことを
わたしなりにわかりたかったから
モヤモヤしたのだと気がついた



そしてそれは
わたしの中でも同じことが起こっていて

わかることは優れていて
わからないことは劣っている

と思い込んでいたのだ

わかろうとすることをあきらめていないか?

果たして本当に
わかることは優れていることなのか?

わたしはそれでいいのか?

本当は
わかりたいから
「わからない」って
あるんじゃないかな

むしろ
わからないと認識できるって
すごいことなのではないか
って

全然
劣っているとかそんなことじゃないことにも気がついた




わかることなんて
ほんの一部でしかなくて
この世はわからないことだらけだ

わかろうとしたいわたしを
見つけられて良かった





どうして優劣をつけたがるのか

良い方に
良い方に
バトンを繋いできた
人間のさが
なのかもしれないな

それならば
わたしは
優れることよりも
優しいことを
選んでゆこうと思うのです