考える
ということを
考える(笑)
はみです
考えることって
そのひとにしかできないことで
誰も入り込めない領域で
たとえ
洗脳されたとしても
それを選んでそう考える
わたしがそこにいるわけで
とても
自由なことなんだ
感覚で感じたことを
感情で音にして
思い、気持ちで言葉にして
そして
考えることで
どういうことなのか
を
判断分析する
そして
その考え方は
無限にあって
どれを選んでもよくて
何を選ぶのか
で
いろんなことが
目の前に現れる
幸せなひとは幸せな考え方をして
豊かなひとは豊かな考え方をして
愛に生きるひとは
愛に基づく考え方をしている
在り方と考え方って
同じなのかな
わたしは
考えられない
苦手ってひとも
気持ちや思いが
あちこちしているだけで
考えるというところまでに
達していないだけかもしれないなぁ
どうして
気持ちがあちこちするんだろう
と
思い始めたときに
考える
が始まっていて
自分の心と向かい始めた瞬間なのだ
それが
ひとのこと
であっても
ひとのことを
考えるわたし
が
そこにいるからなのであって
じゃあ
どうして
わたしは
あのひとのことをこう思うんだろう
と
考える
妄想はあるけど
妄考ってないもんね
考えすぎって
頭のなかで
妄想してたり
悩んだりしてることなんじゃないかな
正しく考えれば
過ぎることはない
無限だから
正しく考えるって
正しく問うってことでもあるのかな
頭だけじゃなくて
わたしのすべてで考える
どうしたらいいのか
じゃなくて
どういうことなのか
と
考える
どうしたらいい
だなんて
何をしたって
いいに決まってる
思い、気持ちと
考えるは違うんだ
同じ心のことだけど