守・破・離 | ココロハレルヤ

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日々ふと感じたこと、思ったこと、考えたことを心のままに書いてみたいと思います

雨降りさんです
みなさん
お元気ですか?
はみは
ゴロゴロ
布団の上を転がっています(笑)





武道などの日本古来の伝統文化には
「型」という概念があって
型をなぞるように学んでゆく中で
同時に「守・破・離」を学びます。
余談ですが
「守破離」はもともと千利休の言葉から
生まれてきたそうです

今日は
わたしの見解を
書いてみたいと思います

皆さんは
どう思いますかな?



型は本来、
古人の智慧で、
身体の機能を最大限に動かす技のやり方や
自分と相手を守る方法を
後世に伝えるためのものであり

わたしは古人の愛のカタチだと感じています。

そして、その
「型は破られるためにある」
という前提を知っているので一度型に入ります。
または入ってもらいます。


たくさんの個性、ひとりひとりが皆違うということを理解しているからこそ型がある。

本来は、型があるからこそ
伝える側は、目の前の個性を知る事ができて、
伝えられる側はただただひとつひとつを重ねてゆくことで、自分らしさ・自分の価値を見つけることができる。(守)

そして
型に入りきれない、居心地が悪い自分を見つけた時に、自立を始め、個性を発揮し始めます。型はもともとは障子紙の様な薄くて破れやすいもの(破)

と思ったら
型に入って守られながら自分を知ってゆくこともステキなことだし
そもそもその型に入れない自分はすでに自立の道に立っているんだと思えたら
やっぱりそれはそれでステキなことだと思うのです
(ただし、型に入れない人が幼い場合や子供の場合はその生命を護るサポーターが必要)
何が言いたいの?かというとそれは
本人の意志で型を破る事ができる
時が来たらちゃんと抜け出せるということを
伝える側も
伝えてもらえる側も
理解しておくことが大切なんじゃないかなと
思うのです

ゴールが見えないところで
さあ、走って!
って言われて
はぁーい
ってコツコツ走ることができる人ばかりではないよね
不安を感じる人もいると思う

あそこまでは
こんな心の在り方で
こんな風に身体を使って
自分と相手と向き合ってごらんよ

それまでこの道を走りながら
この道をこの方法で走ることに慣れてきたら

こうやったら
もっと楽に
もっと楽しく
もっと自分らしく
走れるのになぁ
って
どんどん感じてみるんだ

あそこまで行ってる間に
それが自分に身についてるから
あそこの扉を開けたら
好きなところを走ってゆくんだ
好きなように行くんだ

ってな具合で
伝えられたら
今よりももっと型を
楽しめるのではないかなぁ
って思うのです



そして
自立を始め、個性を発揮し始めた時に見えてくる
自分が居た、もとの愛のカタチ(型)
と自分の愛のカタチが
宇宙の無限の愛の中ではその一端に過ぎないことを知り
すべてを手放すことができるようになり
つねに大いなる循環する流れに身を任せる事ができるようになり、どんな状態、どんな環境でも自由でいられる
自由にそこに行ったり、離れたりできる状態になる(離)

そして大切なのは
その後
「本を忘るな」
ということです

人は
空気があることを
わかっていても忘れてしまうように
無限の愛に包まれていても
忘れてしまうものだから
「型」で感じた愛のカタチを忘れないことで
今、無限の愛の中にいる事を自覚出来
迷子にならなくてすむのではないかと思うのです






さあ
今日も
みんなとお稽古
楽しもう♪


ココロムゲンノアイノカタチ