杖 | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

靭帯断裂から5日。杖も使い足を引きずりながらレッスンをしてるのだけど(大袈裟)、電子ピアノを導入してとても効果的に使えている。パイプオルガンの音(もちろんダミー)が出せる事、ピッチが変えられる事が大きい。最近のRolan●凄い。
単音を伸ばした上で音階を吹いたり、和音を鳴らした中でリップスラーをやったり。基音となる音を決めて鳴らし続けて音がどう響き合うかを聴き取れれば奏法の方も意図的に手を加えなくても修正させる事の多い事。これをワザワザ言葉に置き換えることがどれだけ難しくしてるかも再確認してる。
(言葉を使う事で説明は出来るし導けるが、それがベストでは無いし、時に本質から離れてしまう原因になる事はこれまでの自分の経験から自戒を込めて記す)

低いから「上げる」高いから「下げる」では片付かない事は多いし、其れ位単純な言葉でないと実際の演奏の中では意識は無理だし、それ以上の説明は自然な身体の動きを邪魔する。演奏しているその時はトレーニング時でもダイレクトに音にアクセスした方がずっと良いと思う。

ピアノでは単音が保てない。いわゆる電子音のオルガンの音では無機質過ぎる。だから本当は本物のオルガンが有れば一番良い。
(Rolan●のサンプリングは流石)

自分よりレベルの高いプレイヤーの中で一緒に演奏すると調子が上がるのも同じ理由だろうと思う。

耳が開いて活性化されるとそれに対して身体が動く。

だから音程が悪くて音が良い、音程が悪くて奏法が良いって事は何処かバランスが悪いままだと思うし、片方が良くなっていると錯覚してる場合も少なくないと思う。
(完璧でないと駄目だとは思わない〜気持ち良く高くなってる時などは楽器的、奏法的には正解だったりするし、第7倍音に当たる様な元々低い音は低い方が良い)

ある方のレッスンの最後の方で曲を吹いてもらうと、そこまで自然に出来てきたことが全て消えてとても機械的になり、結果的に身体が硬くなりコントロールが利き難くバテる。音程どころでは無い。その中で表現しようとするとアンバランスなフレーズになる。
言葉をかけながら自然な状態を体感してもらうが自身で再現が出来ない。

「何が違うのでしょうか?」のこちらからの問いに「違いは判るが同じ様にしても出来ない」とのお応え。

「では、同じ様にしようとしないで、同じイメージを持ちつつ後は身体に任せてただそれを聴いて下さい」って伝えた。「ただし、身体が自由に動ける様に準備は怠らないで」(この準備については文章では誤解も生むしますます長くなるので割愛)

その瞬間から音もフレーズも全て自然に動き始めた。フレーズ感も自然。間に話や休憩を挟み4,5回繰り返しても即再現可能。

同じようにしようという思い(意識)が、意識がアクセス出来ない脳の領域の仕事を「意識」がやろうとする行為に繋がり頑張れば頑張るほど結果が欲する状態(イメージ)から離れて行く。そこで手を加えると益々離れて行く…
(この部分を脳科学の本を読むまでは「感じる」「感覚」で済ませていたのだけど、そこを脳の仕組みで説明できる様になったのは個人的には大きい。そのアクセス出来ない脳の領域という仕組みが感覚に繋がるのだと今は考えている)

この場合の言葉や理論は杖だな…
良い杖は助けてくれる。
でも杖無しの方がずっと自由。(切実な思い)