双方共によく使われる言葉。
テンポ、リズム、タンギング、息の流れ、等々。
物理的に均一にコントロール出来る技術はとても大切で必要な技術なのだけど音楽の中(誤解を避ける為に此処では所謂広義にクラシックと呼ばれる音楽『古典の意味では無い』とそのスタイルに準ずる音楽と限定して)でそれらが物理的に均一に成る事は殆ど無いと思う。
それは「表現をする意味での歌う」とかの意味合いとも違う。自然な流れに聴こえる様な音楽の流れの中では常に変化をしている。
例えば四分音符を16個五線譜に書く。音程は任意、ただし全て同じ音程。
それを手で叩く。
次に4つづつ小節線で分けて4分の4拍子にして同じ事を行う。
次に2分の2拍子。
次に4拍子に戻し各一拍目はピアノで後の拍はメゾフォルテ。(これは少し意地悪だけど。。)
次は2拍子で同じ様に。
トランペット(楽器)でもやってみる。
全ての楽譜が聴き手に伝わる様にしかも自然に演奏し分ける事が出来るだろうか?
4小節フレーズと8小節フレーズでも変わる筈。
時間と拍子のヒエラルキーを理解してないと難しい。
あくまでデフォルトにだけどこの上にメロディーやリズムや和声が乗っかるのだと思う。
物理的に同じタンギングしか出来ない状態でも難しいかもしれない。
物理的に同じ事に拘り過ぎてしまうとそこから自由になるのがとても難しくなる。
教える時には最初から、「音楽上の自然と物理的に均一に出来る事の大切さの表面上に見える矛盾」を伝える必要が有ると思う。
「正確に」には拍子感は含まれないのか?
そして息の流れ、
これは実は少しカテゴリーが違うのだけど。
音色を一定にする為には息を「均一に」=「一定に」吐き続ける?
では無くて、同じ響きを空間に感じられる(聴こえる)様にすると息は自然に一定のエネルギーを保ちながら流れるが正解だと思う。その時に自然に減衰する音が存在する。もちろん、逆に方法からアプローチをして自然な音を導き出す事も出来るし大切な手法だとも思うが辿り着くべき場所は『音、音楽』が主役だと思う。