ありがとうございます。
一体どれだけしんどいのを我慢したら
豊かになれるのだろう?
いや、どうせ豊かになんかなれない
なんとか毎日困らない程度の収入があって
年に1度か2度家族で旅行に行けるような
そんな生活ができたら、幸せだと思わなくちゃいけない
って思っていませんか?
本当は降り注ぐ豊かさの中にあって
いつも、「ハイ、どうぞ!」と目の前に差し出されているのに
日々の忙しさや、疲労、やりどころのない怒り、不満にとりつかれ
「今、そんな余裕無いから!」と
差し出された豊かさを拒否しているのかもしれません。
今日、私は「豊かさへの切符」(=現実世界では、“チラシ”ともいう)
の配布のお手伝いをしてきました。
そこで気づいたことは、
不満そうで、不幸そうで、楽しくなさそうで、不愉快そうな
表情をして歩いている人がとても多いことでした。
私は始めのころ、あまりに「受け取ってもらえない」ことに驚愕し、凹んでいました。
精一杯笑顔で配っているのに、なぜ「受け取ってくれないのだろう?」
と考えていました。
ふと、自分が配っているものが、「案内チラシ」ではなく
「幸せ&豊かさへの切符」だというアイデアを思いつきました。
すると、「受け取らない人」の気持ちがよくわかりました。
胡散臭い、のです。
だから、そんな胡散臭いモノを配っている私は、
迷惑以外のナニモノでもないわけです。
しかしながらそれは、「刹那」の胡散臭さによる不満顔ではなく
あきらかに日常の「クセ」による不満顔でした。
日曜日のお昼ですから、カップルや家族連れ、お友達同士、
たくさんのかたが通って行かれました。
もっと幸せそうに、楽しそうにしていても良いと思うのですが、
みな一様に、疲れたような、怒ったような表情でした。
ところが、受け取ってくださった方は、例外なく嬉しそうな表情をしていらっしゃいました。
「それは、どこで体験できますか?」と、聴いてくださる方もありました。
ワクワクした表情で、「行ってみますね♪」と歩いて行かれます。
小さいお子さんも、意味がわからなくても、嬉しそうな表情で受け取ってくださっていました。
それが、豊かさの原点だと思います。
つまり、「受け取った事」、その事自体が「嬉しい」という感情を引き起こしているのです。
反対に、そんなもん差し出すんじゃねーよ、と思っている方は
当然、迷惑そうな顔をされています。
あるいは、無表情。目に入っていない感じです。
差し出されたモノが、「幸せへの切符」と気づいていないから。
でもね、「幸せへの切符」と書いてあったら、受け取るかな?
受け取りませんよね。だって、胡散臭いから。
結局、私たちの多くは、日常の思考のおしゃべりや、不必要に大量の情報の波に溺れて
本当に必要なものがなんなのか、見えづらくなっているのかもしれません。
どうして第三者でなく、「私」たちにしたかというと
「これが、私の姿なんだろうなぁ」と感じたからです。
目の前にやってきた「佳きもの」を
胡散臭い、という理由で、
私自身が拒否していることがあるのかもしれない
そう思ったからです。
あるいは、そういう態度をしていないか、我が身を振り返りなさい、という
メッセージだと受け取りました。
チラシを受け取ってくださっても、くださらなくても
お幸せに、と祝福を贈ることにしました。
潜在意識に届けばいいかなぁ~と。
それが正しい、とすぐにわかりました。
天使(=“子ども”ともいう)達が次々と現れては、
ニコニコと笑顔で癒してくれたからです。
子どもの笑顔には、プライスレスの価値があります。
目の前に差し出された豊かさを
直感で受け取れる
そんな風に魂を磨いて行きたいな、と
強く思いました。
今日は、たくさんの気づきをいただけたことに
ありがたいなぁ~と思います。
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