それは、後から振り返ってみると
とても不思議で、複雑で、笑っちゃうようなことがきっかけだったりするものです。
私は、数年前から、毎月実家の墓の掃除に行くようにしています。
多分、自分はお世話にならないであろう墓ではありますが
父方の祖父母と、大好きな父がいるので
掃除に行くようにしています。
…と書くと、なんだかとても親孝行に聴こえますが
10年…とはいわないまでも、かなり長い間、年に1度か2度、行くか行かないか、の状態が続いていました。
母と祖母を「介護」(←自宅で介護していたワケじゃないから、かっこつき)したことと
その他諸々で、1年間の通院&投薬治療期間を含め、その後数年間を「鬱」と闘っていたからでした。
その後、「鬱」は良くなったものの、元からの「怠惰な性格」によって
「墓へ行く」のが後回しになっていました。
「仮面優等生」で、「プライドが高い」私としては、面目が立たないワケです、自分に対して(爆)
そんなある日、ちょっとスピ能力が強い友人がこう言いました。
「墓参り行くと、チケット取れるんだよ」
その頃はまっていた、韓国のグループBIGBANGの認知度と人気が急に上がり
それまで楽勝で取れていたコンサートのチケットが、なかなか取れなかったり
ファンクラブ先行で取れても、アンビリーバボーな席だったりしたワケです。
チケットが取れるかどうかの信憑性はともかく
墓参りに行くと良い、というのはなんとなく耳にしていたので(そのあと、トイレ掃除が良い、という噂も耳に入ります)
ちょうど良いきっかけだと思い、墓の掃除に行くことにしました。
最初の1年は、「修行ですかっ!」というほど、毎回毎回延々と続く草むしり。
自然の生命力を思い知ることになりました。
生きている、生かされていることを学んだ気がします。
毎回、無心で草を刈っているうちに、墓が変わって来た気がしました。
それほど草が生えなくなって来たのです。
その頃から、その少ない草をむしりながら、亡くなった父や祖父母のことを思うようになりました。
祖父母がいたから、父がいる。父がいたから、いまここに私がいる。脈々と続く命のリレーに、自然と感謝の気持ちが湧いてきました。
それまでは、「よそに嫁に行ったのに、なんで私が掃除しなきゃいけないんだ…」とやっぱり胸の内で思っていたようにおもいます。
無理やりかもしれないけど
墓の掃除に行くようになってから、いろいろな人と出会うようになり
起こる出来事も変わって来たようにおもいます。
墓を無心で掃除している時は、どこか「瞑想」状態に似ているように思います。
ふと、インスピレーションが湧いたり、解決策を思いついたり、ある出来事についてとてつもない感謝の気持ちが湧いてきたり
ということがよくあります。
また、真夏のとても暑い日に草むしりをしていると、
その時には気づかなかったけれど
草むしりの間中曇っていて、
草むしりを終えた瞬間、太陽が出てくるとか
真冬のとても寒い日に、草むしりをしているときだけ雪が止んだり、風が止んでいたり、ということもよくあります。
そんなとき、「父さん、じーちゃん、ばーちゃん、ありがとうね」というと
さわさわさわ~
なんて風が吹いたりしてね^^
夏にあまり夢中になって草むしりしているとふと、ばーちゃんの
「ともちゃん、もう帰りなさい」
(↑介護施設に面会に行くと、しょっちゅういわれていた)という声がして、
はっ!
と気づくと、熱中症寸前だった…みたいなこともありました。
墓で思い出すさまざまなことは、全部「愛された記憶」だったりするのは
あながち偶然ではないような気もします。
今、あちこちのお寺さんや神社さんにお詣りさせていただいたりするのも
きっかけは、こんなところからだったかもしれないし
そのおかげで、いろいろなことにきづかせていただいたと思うし
いろいろな方とのご縁もいただいたのだろうな、と思うのです。
あの時
「チケット」という餌であれば、私がお墓に行く気になる
と気づいていた「偉大な存在」が
ネ申席ゲッター(笑)だった友人を通して
教えてくれたのかな、とも思っています。
だから、感謝だなぁと思うのです。
そんな事ぐらいでチケット取れたら苦労しないよ
って、鼻で笑っていたら、永遠に気づかなかったさまざまなこと。
素直な気持ちで、純粋な好奇心で
そうなの? ちょっとやってみようww
と、楽しんでやってみることで
いろんなことが動き出すように思います。
ちなみに、トイレ掃除はやっぱり素手がおすすめです^^
まずは家でやってみましょう^^
ポイントは楽しむこと、だと思います。
今日も長文になってしまいましたが
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。