映画『スキャンダル』 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 観通すのが若干しんどかった本作。退屈な駄作だったからではない。寧ろタイトにまとまり緊張感も最後まで持続する硬派な良い作品だ。要所々々しんどさを覚えるのは組織の人間関係の寒々しさ、上昇志向の強いアッパーミドル階級の生臭さ、長いものに巻かれて立場の弱い人間には冷たい世間の実態、などなど、現実と地続きのリアリティーが身も蓋もなく迫ってくるからだ。特に立場を利用して他者の尊厳を蹂躙し続けてきた権力者の横暴な振る舞いは胸糞悪過ぎて観るのを止めたくもなる。しかし社会派ドラマとしてそのしんどさは決して欠点ではない。受け手も誠実に向き合わねばならないしんどさだろう。
 実際に2016年のアメリカで起きた女性キャスターのセクハラ告発。それに触発されて続々と告発者が増えてゆくテレビ局の権力者の長年に渡る性加害の実態。本作はその騒動がまだ生々しく人々の記憶に残る三年後の2019年に製作された実話ベースの物語だ。旬の素材を話題性が残っているうちに手早く捌き料理した印象。それ故もあってか、告発者側個々の鬱屈や悔しさ、更には人間造形の掘り下げは若干浅い感は否めない。しかし話題性だけに便乗した軽薄な内容とも思わない。寧ろ今ここで記録として残しておかねばならないという作り手の真摯な思いが感じ取れる。事件が風化する前に事の真相をドキュメンタリータッチで世に知らしめる。その意義に確信を持っている作り手の誠実さがひしと伝わってきたのだ。
 特に告発される側、つまりテレビ局の権力者の描き方が秀逸。感情の赴くままに周囲の人間を怒鳴りつけ罵倒。女性に対しても心無い発言を平気で繰り返す。勿論そんな男にそれまでの自分を顧みる心など微塵もない。公の場での自分の横暴な言動に罪悪感も含羞の湧く余地もない。寧ろ正当化して止まない生き方をしてきた男。そして今はすっかり老いて、ドーナツの食べ過ぎでぶくぶく太り生活習慣病にも悩まされている。しかし自分のそんな見た目や老いを認めることもなく、女性の加齢による見た目の衰えは辛辣に揶揄。それも又ウィットに富んだブラック・ジョークなのだそうだ。そして極め付けは棺桶にはや片足突っ込んでいるような現状にも関わらず、今だ食欲だけではなく性欲も浅ましく旺盛。立場を利用して、更には成功への道をチラつかせて、若い女性に性的関係を強要しようとする。性根は腐り見た目も醜悪そのもの。徹頭徹尾胸糞悪い存在だ。
 端的に何一つ擁護する点のない単に老いて醜いだけの怪物。しかし少なからぬ面々がこの欲情まみれの老害をテレビ局の発展に大いに貢献した功労者、更にはパワハラセクハラの見返りに自分たちにキャリアを開いてくれた恩人として擁護しようとする。奴隷根性に染まり切った周囲のそんな連中。それは見ていて暗澹たる気分になる。
 しかしここで描かれた隷属の関係性が特に異様なわけではないのも確かだ。寧ろ今までどこの組織にも見かけがちだったありきたりな光景とさえ言える。今となっては俄かに信じ難くもあるこの人間模様が、きっぱり否定されるようになったのは、驚く勿れ、まだここ最近の話なのだ。或いはそれは必要悪という認識だったのかもしれない。そして醜悪極まるこの手の存在がエキセントリックなやり手という認識で持て囃され、糾弾されるどころか寧ろ擁護されていた時代が延々続いていたのだ。今だ懲りず繰り返される老いた政治家や財界人の女性蔑視発言の数々。しかし失言を放った当の本人は何が問題視されているのか全く認識できていない。それは日常の人間関係を円滑に働かせるためのジョーク。本人はその認識に染まり切っていて、その価値観を疑う視点は既に微塵も持ち合わせてはいないのだ。自分が面白いと思って繰り返したそれらが、如何に大勢の人を不快にし傷つけてきたか、今さら顧みる内省の視点もない。なぜならそれらは強者が一方的に作り上げた価値観の元、今の今まで許され続けてきたからだ。
 日本には更にわかりやすい実例がある。
 ジャニーズ事務所のジャニー喜多川。彼も又、芸能界のやり手として、そして性的関係と見返りにスターの座を用意してくれる存在として、あまた少年への犯罪は有耶無耶にされ続けてきた。本作でピックアップされているテレビ局の権力者は糾弾を受け存在を否定されたその一年後に亡くなっている。何とかギリギリその罪を本人に突きつけることが出来た形だ。しかしジャニー喜多川に関しては時既に遅し。限りなく黒に近いグレーな存在とされながらも生前はそれでも体面を保たせてしまった。
 要は逃げ切らせてしまった。そして死後、ようやく性加害の実態が生々しく明るみに出た形だ。
 これ以上もう逃げ切らせては駄目だろう。
 今後は急激に変わった風向きの中で今まで昭和の価値観で性加害を繰り返してきた存在が、しっかり糾弾されその醜悪さを明るみに暴かれ続けてゆけばいい。今は丁度、かつてカリスマお笑い芸人として一世を風靡した存在が、その権威を盾に鬼畜な所業の数々を繰り返してきたことを暴かれている最中だ。今だその芸人を擁護しようとする声も多い。しかし少しでも心ある存在は既にその芸人を冷ややかに見限っている筈だ。例えその話芸に、そしてコントに、かつては大いに笑わせてもらい、親しみを抱いていたとしても……。
 僕も又、その芸人に一時期心酔、魅了されていた一人だ。しかし己れのそんな些少な思い出など踏み躙られても構わない。それでも醜悪な存在はきっちり公の光の場所に吊し上げられるべきなのだ。今はつくづくそう思う。そうじゃなければ弱い立場で蹂躙された被害者側の魂があまりにも浮かばれない。
 本作でも最終的には隠し録音が決定的な証拠となり権力者を葬ることが出来た。隠し撮りも隠し録音も卑怯でも何でもない。組織の上に立つ巨悪にちっぽけな存在が立ち向かう時、使える手段は何でも使って戦えばよい。本作の告発者側のしたたかさにカタルシス覚えつつ、最後そんな感慨も湧いた。従って芸人に対する告発に週刊誌を利用している彼女らも堂々と胸を張って戦えばいい。そして週刊誌の記者らは臆せず逃げず、最後まで彼女らを支えてあげてほしい。
 かつて全てのレギュラー番組を欠かさず観ていた。大好きだったそんな存在に、やがてこんな思いを抱く日が来るとは夢にも思わなかった。しかし今は、「つくづく反吐が出る!」。