松山ケンイチ版の本多正信もいいぞ。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 安城市歴史博物館で『家康と一向一揆』展を観て、その足で一揆側の拠点となった本證寺を訪れた春の散策。大いに学び大いに歩き大いに春を感じて、大変充実した久しぶりに良き一日となった。更にその夜、締めとして録画してあった『どうする家康』を観ることが出来て、これで完璧。一揆つながりのトリプルな一日として終えることが出来た。
 なぜならこの夜に見た回が丁度、三河一向一揆の終結までが描かれた回。三月八日は一揆記念日と称したくなるほど、一つのテーマで一日を統一できたのだ。
 ドラマそのものの感想は松山ケンイチ演じる本多正信のダンディズム。この回に関してはこの一点に尽きる。『どうする家康』で描かれるペテン師キャラの本多正信が一揆側に付くその理由づけをどうするのか、前々から妙に気にはなっていたからだ。松山ケンイチ版の本多正信は、およそ信仰心とは無縁のキャラクターに描かれている。そのキャラクターで一揆側につく理由、そのメリットが、今一つピンと来なかったのだ。物事を深刻に捉えない飄々としたキャラで描かれている正信。それが一転、覚悟を決めた表情となり、一揆側についたその理由とモチベーション。その辺が、ちょっとよくわからないな……と。
 あるいは家康側と一揆側の戦いを煽るだけ煽って、自分が何か漁夫の利を得ようと計画を立てた。しかしその企てが策士策に溺れる形の大失敗に終わる。そういう方向性でストーリーが紡がれるのかとも漠然と予想を立てた。
 それがまさかまさかのハードボイルド路線。不幸な生き方をして不幸なまま亡くなった幼馴染の娘が、熱心な浄土真宗の信徒。その死の間際に、「こんな地獄のような世界で生きていたくねぇ。早くあの世へ行って楽になりてぇ……」と一心に「南無阿弥陀仏」を唱えていた。初恋の娘のその姿、その哀れ……。
 本多正信はその娘の面影に報いるために一揆の側に回ったのだ。
 青臭い優しさを基盤に置く、このハードボイルドなダンディズム。この手のロマンチシズムに僕は弱い。心が素直に揺さぶられる。正直いうと一揆に乗じて家康に反旗を翻した吉良義昭や松平昌久がどうなったかも少しは描いてもらいたかった。空誓上人の葛藤にも焦点を当ててもらいたかった。特別展を観てきたから、尚更その辺に物足りなさは感じた。しかし今回は本多正信が味のある格好良さを見せてくれたので、それで良しとしよう。松山ケンイチ本人が醸し出す色気が尚更魅力を引き立てている本多正信。どうしても松山ケンイチは強烈に印象づけられた平清盛のイメージが今なお付き纏うのは確かだ。しかし上辺を軽薄に装った実はハードボイルドなこの本多正信の魅力も捨て難い。
 今回その人間性の奥深さがしっかり提示された本多正信。今のところ『どうする家康』に登場した人物では、そのキャラクターは一番魅力的だ。恐らく中盤あたりになるだろうが、どんな形で物語に復帰するか、今は楽しみに待ちたい。