大河ドラマ『真田丸』(第一回)。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 大河ドラマって、初回は大概子役を使って、子供時代のエピソードから入ってゆくものだが、今回の大河ドラマはいきなり堺雅人が登場で、特にエピソードもない幼少時代から入ってゆくより、至ってこういう入り方の方がテンポがあって掴みはOKな気がした。
 いや、堺雅人が主演の今年の大河ドラマ『真田丸』。録画しておいた初回をようやく観たのだけれど、脚本が三谷幸喜という事もあり、昨年の大河ドラマよりもちょっとは期待できそうかな。
 今年は私生活がのっけから不安に満ちて始まった年。故に、一年を通して紡がれる物語に自分のその時その時の心情を重ねるように丹念に観てゆきたいと思っている。四年前の『平清盛』のようにね。
 初回に切なく思えたのは武田勝頼。名将として名高い父親と比較されて、何かと辛い生涯だったろうな。どう考えても仕事も出来て人望も篤そうな前任者を引き継いで、人身離反されてゆく近い未来は目に見えている、そんな己の現状と思わず重ね合わせちまったよ。しかし今回の勝頼が、見た目から愚鈍で馬鹿丸出しのキャラクターではなく、凛々しく深みを感じさせる俳優に演じさせてくれて良かった。あまりにも僕と似すぎた無様で醜態を曝し捲るキャラクターだったら、初っぱなから観るのが切なすぎるものな。そう、能力がないのは重々承知している。だけど少し位は自惚れていないと、自分の本質を身に染み過ぎちまったら、あまりにも切なすぎるじゃないか。
 今の段階ではせめて、代々から続く名門の家柄を滅びに向かわせてしまう失意の中で、それでも人間としての醜さを曝さぬ今回の立派な武田勝頼に自分の姿を重ねていたい。とゆうか、せめて、こうありたい。
 月並みな台詞になっちまうけれど、「やるだけの事はやるさ」。
 それで駄目ならその時はその時。