ツイッターの文字制限が140字から一万字に変更。 | 春田蘭丸のブログ

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 前から検討されていたツイッターの140文字制限が今年4月から撤廃される事が完全に決まったそうだ。
 文字制限が完全撤廃されるわけではないらしいけれど、その上限が、いきなり一万字にまで大幅拡大されて、これなら制限などあってなきが如くである。
 一万字といえば400字詰め原稿用紙25枚。これもツイッターで拾った情報なのだけれど、それがどれだけの分量になるかというと、太宰治の『走れメロス』一篇が、ちょうどそれくらいだという。
 忙しなく日常を送る市井の民が『走れメロス』一篇分の呟きを一気に捲し立てられるとも思えぬし、ぶっちゃけ、こちらもそんなもの読みたいとも思わない。それでも原稿用紙2~3枚くらいの呟きは今後徐々に増えてゆくだろう。
 『お気に入り』の名称が『いいね』に代わった際も不評だったけれど、気づけば皆それに慣れて、いまも使い続けているじゃないか。今度もそれと同じで、皆すぐに慣れるよ……
 という意見もあるけれど、今度の上限一万字の変更はそんなマイナーチェンジとは違って、ツイッターの本質を大きく様変える事になるのは間違いない。細切れの時間を利用して、140文字の枠内での意見をあれこれチッェクするのが好きだった僕にとって今回の仕様変更はあまり歓迎できないし、実際140文字の枠があるから呟き易いと感じていたユーザーは離れてゆくような気もする。少なくとも従来のツイッター最大の特徴であったものを捨てるのだから、140文字制限撤廃後は、良くも悪くもそれまでのツイッターとは何かが大きく変わることになるのは確かだと思う。
 もちろん変更が悪い面ばかり生み出すわけでもないだろう。という事で、やはりツイッターで拾った肯定的な意見もここに紹介しておく、

Twitterの文字数制限拡張、不評なのよくわからないな。140文字超過分は折り畳まれるのなら見た目は今と変わらないし、むしろTL占拠を気にせず連続ツイート出来るし、発言の一部だけ切り取られて変に拡散されることなくなるし。そもそも必ず一万字埋めろという仕様でもないし。

 そう、ツイッターのスタッフ陣もその辺はちゃんと考えているみたいで、140文字を超える呟きに関してはタイムラインを流れる際にその超過分は折り畳まれて読めない仕様にするらしい。最初の140文字を読んで、もしもその先が気になるならクリックして広げてください……という仕様だ。確かにこれなら従来のタイムラインとさほど変わらないし、連続ツイートの一部を切り取られて誤解を受ける形で拡散される心配もなくなる。議論に関しても、140文字の枠内では言いたいことも言い合えず、結局は口汚い罵りあいに堕してしまうばかりであったものが、もっと有益な議論に発展する可能性も……まぁ無くはない。そういう意味では140文字撤廃の変更は悪い面ばかり発生させる訳でもないのだろう。
 只ここに紹介した呟きの、「むしろTL占拠を気にせず連続ツイート出来るし……」という箇所、これに関してはやっぱり違うんだよな。
 そう、例えば800文字分の意見を一つの枠の中に呟くのと、140文字の枠を五~六個使って呟くのでは、同じ分量でも読み手に与えるイメージは全然違ってくる。プロの物書きなら兎も角、普段文章を書く事とは無縁の素人ならば、同じ分量の同じ意見でも、制限のない場所に呟くより、140文字の枠を五~六個使った方が圧倒的に呟き易いと思うし、結果その密度も濃くなると思う。現在は情報収集ツールとしてのみ重宝していて、一切呟きは落していないのだけれど、僕もこのアメブロを始める前の一年ほど、毎日ツイッターを利用して呟いていた時期がある。だから自分の経験と照らし合わせてわかるのだけれど、140文字の枠で連続ツイートするのと、無制限な場所(例えばこのアメブロとか)に綴るブログでは、そのノリが全然違ってくる。~140文字の中で意見を纏めている間に、その制限の中では言い足らなかった思いが蟠る。更にもう一つ140文字の枠を利用する。すると今度はその呟きと連動するような新たな意見が浮かんでくる。更にもう一つ140文字を使う。すると更に別のアイディアが浮かんできて……といった具合に140文字制限の連続ツイートは一種独特のグルーブを紡ぎだすのだ。全く制限のない場所より小粒な枠を幾つか利用する方が、とっちらかって茫洋とした自分の思いを集約させ易い人も大勢いると思う。
 まぁいずれにしても後少しで、せっかく育まれ始めていた140文字の新たな文化は終焉を迎えてしまう。ほんの一年ほどだったけれど、僕もその140文字の文化に参加できたのは良かったと思う。どうしても140文字を超過してしまう自分の思いを、あれを削り、ここの表現を改めて……と夢中で推敲して枠に収める営為は、いま思えば結構楽しかった。推敲の楽しさもツイッターで知ったし、実際その勉強にもなったと思う。
 そう考えると本当に、「さらば僕が愛したミニマムな世界よ!」という感傷が湧くな。
 まぁそれでも情報収取ツールとして、その後も利用し続けるとは思うけれどね。