書店に公平性を求めるなよ。 | 春田蘭丸のブログ

春田蘭丸のブログ

願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 大手の書店が「自由と民主主義のための必読書50」というタイトルでフェアを実施しようとしたら、「公平性を要求される書店が、特定の政治的主張や信条を応援するのはけしからん」という抗議と圧力に屈して、企画を中止に追い込まれた……という件が最近話題になっているけれど、公共機関なら兎も角、個々の書店に公平性を要求して、しかも、そんな理不尽な要求が簡単に通ってしまう世の中って、これって、やっぱり異常だと思うな。
 書店が公平性を求められる、という主張自体が見当違いも甚だしい話で、個々の書店が政治的に或は宗教的にそれぞれの色を出しても一向に構わない筈だし、その色が自分にとって不愉快な色ならば、その書店を利用しなければよいだけの話。批判は勿論構わないけれど、抗議と圧力で企画そのものを中止に追いやるというのは驕り昂ぶりも甚だしい。これは逆に言えば、嫌韓本コーナーを設置している書店に、「あなた達はレイシストなんですか?」と詰め寄って、本を恫喝気味に撤去させようと行動している連中も同罪。在特会のヘイトデモに関しては既に暴力の域に達していて、在日の人たち、そして何よりその子供たちの精神的脅威になっていたので、法の下に即時規制・中止をかける必要があった。あの暴力的で卑劣なヘイトスピーチを表現の自由とは僕も毛頭思わない。しかし個々の書店がそれぞれの判断で嫌韓本コーナーを設置するのは致し方ない話で、何より嫌韓本を十把一絡げにして、「低俗なレイシスト本」と決めてかかって規制の対象にしようとするのは、今度は逆に表現の自由に対する冒涜以外の何ものでもないだろう。
 個々の表現の自由は最大限保障されるのが、最も健全な社会……この辺の認識は僕にとって揺らぎない。それが自分にとってどんなに醜悪で不愉快な表現に思えようが、圧力で踏みにじろうとするべきではないし、議論自体を禁忌するべきではないのだ。こういう事を言うと、「欧米では既にナチスを肯定したり、アウシュビッツの虐殺を否定したりすること自体が禁忌に該当する……」という反論が出てくるけれど、何も欧米が必ずしも正しいわけではない。主張自体が許されぬ世の中って、本当に危険な世の中だと思うぜ。それが例え醜悪で不快なレイシストの主張であろうと、発言そのものを圧力で抹殺しようとする社会は、逆に恐ろしく閉塞的で不健全な社会だと思う。