SEALDsとSEKAI NO OWARI | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 僕の今のSEALDsに対する感想は、まぁ、意識的な学生の政治的主張や運動も、所詮あの辺が限界になってしまうのかな……というもので、全面否定しなければならない程の醜悪なものではないけれど、存在を知った当初の興味は既に失せている。やむにやまれぬ青臭い衝動をとっかかりに、一気に覚醒して成長してゆく若さを期待していたのだけれど、とっかかりの幼稚なスローガンが一向に形を成さず、幼稚なまま空回りをしているような印象しか今は受けない。このままカルト化してゆきそうな危険性は感じられないし、特に実際の政治に影響を与えることもなければ、逆に社会的な害悪と化すこともなく、若者の一時の熱病として終息してゆきそうな予感がする。応援する気は失せたけれど、殊更その存在に目くじらを立てる必要もない……それがSEALDsに対する今の僕の認識だ。
 寧ろSEALDsで興味深いと思うのは、SEALDsを通してバトルし合う有識者を含めた大人たちの存在だ。擁護派も批判派も、なぜ学生たちの青臭い政治運動にここまでムキになって熱くなっているのだろう……と、おかしくて仕方がないのだ。あれか、SEALDsの中枢を担いつつ、裏では恋愛も含めた青春を謳歌していそうな主要メンバー達の眩しい若さに対する羨望と嫉妬の感情が、ここまで大人たちを熱くさせるのか? だけどSEALDsの青臭さを介在させて、寧ろ大人たちの議論のほうが熱を帯びて、その熱の中から何らかの議論の成果も生まれているようにも思えて、そういう意味ではSEALDsにも十分存在価値はあるように思う。良くも悪くもSEALDsの中二病的な感性は大人たちの秘め隠す青臭い感性を刺激するのだろう。そう、片や悪意として。そして片や好意として。
 まぁ根が単純ゆえに青臭くも真っ直ぐな感性に直反応しがちな僕も一時的に彼らに注目をしていたしね。
 だけど青臭くも真っ直ぐな感性が、その後、一向に成長も覚醒も見いだせないと知れると、勝手なもので一気に興味を失ってしまった次第。
 政治運動とは無関係だけれど、青臭くも真っ直ぐな表現として僕がここ数年で最も嵌まったのは彼らの存在だった。
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=hVFY4Yvv3ho
 そう、SEKAI NO OWARI。彼らの表現とコンセプトは、本当に考えに考え抜かれていると思う。特に内省的で瑞々しい歌詞は、どれも惚れ惚れとする。一つのイデオロギーに単純に寄り掛からず、世界の複雑さや不条理も引き受けた上で、それでも毅然と思いを主張するピュアな佇まいには、当の昔に中二病的季節を終えた筈のおじさんの胸も熱く震わせる力と説得力がある。青臭いながらも世界のリアルをしっかり掴まえているのだ。そして僕が好意を寄せる青臭さくも真っ直ぐな世界とは、彼らのような世界を指しているのだ。青臭さを維持したまま急速に覚醒して、世界に対しての認識も深めてゆくそのスピードと意志……僕がSEALDsに求めていたのも恐らくこういうスリリングな成長の過程だったのだと思う。勿論ポップミュージックと政治運動を単純に比較するなよ、と言われればそれまでだが、純粋に表現として、SEALDsの連中のスローガンは全く胸に響いて来ないのだ。
 SEKAI NO OWARIのクオリティまでは期待しないけれど、青臭いながらも、せめて、もう少し考えろよSEALDs……とは思う。