思想より大切なのは品格や愛嬌。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 Twitterを利用するようになり3年位になるけれど、始めた当初からフォローして、折りに触れて覗かせて貰っていたアカウントを、この間ついにリムーブした。アカウントの主は、それほど著名でもない作家先生なのだけれど、社会的な発言や政治的な主張が多めのアカウントであった。特に政治的な考え方や立ち位置が自分と似通っていたので、自分の気持ちを代弁してくれるアカウントとしてフォローしていたと思う。
 しかし最近そのアカウントがタイムラインに流れてゆくと、妙にイラッとするとゆうか、不快な気分になる自分に気づいたのだ。昔も今も、「本業の方にちゃんと精をだせよ!」と突っ込み入れたくなる程ツイート多めのアカウントであったが、以前はその呟きの一つ一つに律儀にチェックを入れる気にもなれていた。しかし最近は、タイムラインにその先生のツイートが流れて行っても、アカウントを覗きにゆく気にはなれない。その先生のツイートのクオリティが下がったとか、イデオロギー的に転向が感じられるようになったとか、勿論そういう事でもない。
 要するに、僕の感じ方や受けとめ方に変化が生じて来た……という事なのだろう。
 いや、自分の政治的な視点や立ち位置が三年前と比べて変化した、という訳ではない。若い頃ならいざ知らず、長年に渡って培って来た政治的信条や思想が、今さら早々極端に覆ったりもしない。些か左寄りでリベラルな論調に共感する自分は相変わらずだ。
 それでは三年前にTwitterを始めた当初に比べて、自分の一体なにが変化して来たかと言うと、論調の内容の是非より、寧ろ、その語り方や切り口の品性や愛嬌に反応するようになって来たような気がする。
 その作家先生の事をリムーブしようと決めたのは、以下の呟きをタイムラインに見かけた時だった、

安倍晋三を強い指導者と仰ぐネトウヨくんへ。安倍なんかビンタ一発くれたら鼻たらして泣くぜ。

 いや、この呟きの主はその作家先生ではない。しかしリツイートという形で僕のタイムラインに乗せて来たのは、間違いなくその先生であった。勿論リツイートが全て共感の意を込められたものでない事は承知している。或は批判の為のリツイートかも……と思い、念の為、その先生のアカウントをチェックしてみた。 
 しかし残念ながらその先生は、その低レベルなツイートを共感の意を込めてリツイートしているみたいだった。
 それを確認した時点で、その作家先生への思いは完全に醒めてしまい、リムーブに至った次第。
 まぁ改めて言うまでもない事だけれど、↑の呟きのレベルが、「チョンコロは日本から出てけ!」というネトウヨのヒステリックな発言と、一体どれだけの差があると言うのだ。立ち位置の違いだけの話で、下品で幼稚な人間性を発露としている事には何ら変わりはない。Twitter始めた当初は物珍しさもあり、内省的視点や含羞とは無縁のそういう連中のヒートアップしたバトルをあれこれ覗く気にもなれた。しかし最近は、そういうのはもういいかな……という冷ややかな気分しか湧かない。タイムラインにそういうのが流れてゆくのは、はっきり言って邪魔臭い。そういうのを一々チェックするのも時間の無駄だし、そういうのが流れてゆくせいで、もっと実質のある意見や、純粋に楽しい呟きを見逃す可能性の方を惜しく感じてしまう。
 そう、下品で幼稚で礼儀に欠けた連中とは否応なく現実の場面で付き合わされる。哀しいかな、僕のような人間は、そういう連中との関わりの中でしか生活が成り立たない。
 だからこそ、息抜きとして利用しているTwitterのタイムラインにだけは、傲り昂った下品な人間の息づかいはあまり感じたくない。主義主張に対する共感云々以上に、そういう無礼な臭みが堪え難いのだ。そういう臭みをタイムラインから完全に払拭する事は出来ないけれど、今後もどんどん無礼者は抹消してゆく。
 現実にもリムーブ機能やブロック機能があればいいのにな……とTwitterを楽しんでいる時、よく思う。
 お前をリムーブ出来るTwitterが僕は好きだ。