柿食いながら感じる時間 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 知人から柿を大量にいただき、一日一個のペースで食べている。
 毎日一個づつ柿を味わうだけでも、徐々に流れゆく時間を感じ取る事は出来る。そう、最初の頃はまだ硬く甘みも少なかった柿が、日を重ねるにつれて徐々に軟らかく味わいも深まってゆく、その過程をしっかり感じ取るそれだけでもね。
 最近とみにこう思う、日常のこういう微細な移ろいを味わい感じる事を、これからはもっと大切に生きてゆきたいな……と。
 柿食いながら漠然とそんな事を考える今日この頃、ツイッターでこんな意見を拾った、

季節を先取りしすぎると、はやく人生を終えてしまう。時間は体感するものだから。常に時間から時間に移動していることをもっと、じっくり感じたらいいのにと思った。

 早くもお節料理の予約が開始されている世相を批判した呟きなのだけれど、確かに……と思わざるを得ない。商売がらみで、あまりにも街が、世間が、先に待つ季節を「今」に引き摺り込み過ぎているのだ。ここ数年はハロウィンの定着で少しまた遅くなったような感があるけれど、酷い頃には早10月の末にクリスマスの飾りを街中に見かけるような年もずっと続いていたものな。そんな街の風景や世相に惑わされて、知らず知らず、季節を先へ先へと追い立てられるように生きていたのかもしれない。あまりにも早く過ぎ行く人生に途方に暮れながら、つくづくそう思う。
 所詮この人生など益体もない、しょーもない人生に過ぎない。しかし、それでも徹底的に味わい尽くす心意気で挑めば、それなりの味わいも生まれるだろう。後どれだけ人生が残されているかも知れぬが、今後は少しづつ移ろう時の流れと季節を意識的に五感で受けとめる事をテーマに生きてゆこう。……
 秋も深まる静かな夜にほっと溜息つきながら、そんな風に、己れにそっと誓いを立てた。