要するに仏像も信仰の名を借りた当時のフィギィアだったのだろうな。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 顔の前で刀を構えるゾロが睨みを効かせているフィギィアも格好よいけれど、威風堂々と立つシャンクスも白ひげのオヤジも実に迫力ある良い出来だ。しかし何と言っても圧巻は、椅子にふてぶてしく足を組んで座る青雉こと海軍本部の大将・クザンのしなやかな格好よさ。元々モデルが松田優作なのだから、そりゃ一流の造型師がその気になって作り込めば、これくらい艶っぽい水準に容易に達してしまうのかも知れないが、それにしても格好いい。惚れ惚れする。
 いや、玩具屋のショーウインドウに飾ってあった漫画ワンピースの世界の登場人物たちのフィギィア人形の数々。これが皆、どれも自宅に飾っておきたくなるようなクオリティで、思わず立ち止まって、物欲しげな眼差しで暫く眺めてしまったものだ。
 だけどそれ見てふと思ったのだけれど、奈良や京都を中心にあちこちに散在する古い仏像とかも、あれ、信仰に名を借りた当時のフィギィアみたいな側面が強かったのだろうね。現代の造型師が人気漫画のキャラクターをリアルに三次元化する事で、漫画というフィクションにリアルに肉薄化しようと試みるように、当時の仏師たちも信仰というフィクションに思いを馳せながら、仏教の世界のキャラクターを具現化しようとひた向きに鑿を振るっていたのだろう。そして具現化されたそれらキャラクターの数々を眺める事で、当時の民衆は、この世とは別のフィクショナルな世界を漠然と空想していたに違いない。だって単純素朴な信仰だけでは、あれほど豊穣な世界は生み出されないだろう。
 そう、いつの時代だって人は、空想の中で遊ぶ事で退屈な日々を何とかやり過ごして来た。空想と戯れる事で、文化は生まれ発展して来た。