知らぬ間に逞しくなっていた増田明美。 | 春田蘭丸のブログ

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 金メダルを期待されていたロサンゼルスオリンピック、増田明美は体調不良で途中棄権をした。そのことを踏まえて当時の担任教師がボロクソに彼女を批判していたのが今も記憶に残っている。
「なぜ皆の期待に応えられるよう努力しない」
「駄目なら駄目で、せめて完走するのが誠意」
「皆さんも、こんな風に物事を途中で投げ出すような駄目な人間にはならないで下さい」
 全共闘上がりで、何かと言えばいっぱしぶった人生訓を垂れたがる臭みの強い女教師だったが、流石にこの言い草は思春期初等の私の心にも違和感を覚えさせたものだ。
 しかし増田明美で思い出すのはこのエピソードくらいのもので、ぶっちゃけ、他人が苦しそうに走っている姿を長時間に渡って観戦していて何が楽しいの?…という至極真っ当な意見の元、マラソン自体にもさほど興味が持てなかった私は、当然、増田明美の存在を気にも留めぬまま、あれから三十年の歳月が流れてしまった。
 国民の過剰な期待を一身に背負ってロス五輪に出場。結果、重圧に押し潰されるように自滅。その揚句、当時中学一年生だった私の担任教師から駄目人間の典型みたいなレッテル貼られた可哀相な女、増田明美。しかし、そんな彼女が現在マラソンのテレビ解説者として立派な仕事をしている事を知った。
 録画しておいた『怒り新党』を観たらその中で、選手への徹底取材で得た資料を元にした増田明美の実況解説がいかにユニークかを紹介していたのだ。しかしユニークというか、このアプローチ、普通にプロの解説者として感心するけどな。マラソンをテレビ中継すると、確かに42キロの距離を人が黙々と走る姿をカメラで追うだけ。画像的には凄く退屈だ。その中で走方や駆け引きなどの技術論ばかりに終始していては話題がもたない。そこで間を持たせる為に編み出したのが、選手等への徹底取材で仕入れたどうでもよい情報を、あたかも語るべき必然であるかのように視聴者の耳に届けてしまうテクニック……いや、冗談抜きで、本当にたいしたものだと思う。まったく気にも留めていなかったので気づかなかったけれど、そういえばここ二十年くらい、マラソンのテレビ中継の解説って、いつも増田明美が務めているような気もする。それだけ解説者としての高い評価と信頼を得ているのだろう。
 ロス五輪から三十年。知らぬ間に増田明美もずいぶん逞しくなっていたものだ。
 しかし今から思えば当時の担任教師の増田明美への批判はずいぶん勝手で酷い言い草のようにも思えるが、あの当時の日本人って、みんな結構そんなもんだったんだよね。メダルを期待されて取れなかった選手へのバリゾーゴンが半端なかったからね。同じくマラソンの瀬古利彦に対する戦犯扱い並のバッシングも結構記憶に残っている。
 そう考えると森喜朗の、「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね」という浅田真央に対する発言が大きく批判されている今の日本の世相は、三十年前とは隔世の感があるように思える。
 ただ森喜朗の発言に対する、「真央ちゃんが可哀相!」ブーイングには、お前ら善人アピールも大概にしとけよ…と醒めた気持ちも抱いてしまうけどね。確かに森喜朗は、いつまで経ってもケとハレの発言の使い分けが出来ない頭の悪い困り者おじさんだけれど、ああいう発言って、飲み屋の話題では普通に出る程度の内容。いちいちヒステリックに論っていては切りがないのだ。
 三十年前のロス五輪の常軌を逸した選手への期待と、結果が伴わなかった選手への異常なバッシングに比べれば、確かに今の世相はマシなのだろう。しかし、「真央ちゃん、頑張ったね。感動をありがとう!」というノリもなんだか私には虫酸が走る。
 やっぱりあれだね、オリンピックなんて所詮は他人事。悪意も善意もなく、無関心…というのが一番健全なのではなかろうか。~今回のソチ、まったく観ていない。興味がない。