もう歌わなくていいから、兎に角、お幸せに。 | 春田蘭丸のブログ

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願わくは角のとれた石として億万年を過ごしたい。

 他人の幸せをやっかむ傾向のある卑小な奴に過ぎぬ私にも、いや、それ故に、この人には幸せになって欲しいと心から願わずにいられない存在が少なからずいる。
 中森明菜もその中の一人だ。
 近所の憧れのお姉さん的な身近さを感じさせたデビュー当時から、瞬くうちに歌姫として覚醒していった全盛期を知る者にとって、その後、歌姫の座から一気に転がり落ちていった彼女の道程は胸に痛いばかりだった。
 しかし歌のミューズが憑依したかのような神々しい輝きを放っていた全盛期の中森明菜も勿論好きだが、今にして思えばそれ以上に、歌姫として覚醒する以前の、ちょっと印象が暗い素朴な少女に過ぎなかった頃の彼女、そして歌姫としてのオーラを完全に失ってしまった後の、それでも繊細で果敢無げな透明感が切なくも美しかった一人の女性としての彼女に、私は惹かれていたのだと思う。
 だから中森明菜が神主をしている一般男性と近々結婚する予定という報道に触れた時には素直に熱いものが込み上げてきた。心からおめでとうと祝福したい気持ちだし、実際、彼女は幸せになるべき存在なのだと強く思う。
 或いは強烈な存在感を放っていた中森明菜という歌姫は、時代と共に心中して夭折するのが宿命だったのかもしれない。実際、手の届かぬ中森明菜というスターは既に記憶の中にしか存在しない。しかしそれ故に、歌のミューズに去られた後の中森明菜は、華やかな世界から降りた代わりに、ささやかで現実的な幸せをしっかり手に入れるべきなのだ。
 だって、あんなに素朴で可憐だった少女が、何かの間違いでほんの一瞬だけ手に入れた歌姫の座から転げ落ちたからといって、そして歌を忘れたカナリアになってしまったからといって、そのまま不幸に塗れた人生を送り続けなくちゃならないなんて、そんな法は何処にもない。それでは、あまりに残酷過ぎるじゃないか。
 もしも中森明菜のように繊細でピュアで愛すべき女性が、ささやかな幸せを手に入れる事すら適わぬような世の中なら、僕はそんな世の中を絶対に認めないし許さない。
 明菜さん、あなたはもう歌う必要はありません。あなたが歌姫として鬼気迫る輝きを放っていた頃の姿は、記憶の片隅にしっかり刻んであります。だから今後は一人の平凡な女性としての幸せを末永く生きて欲しい。それが長年のファンの、切なる願いです。