十代の頃から夢に拘っていた。夢といっても、将来の目標とか自己実現とか、所謂、「信じていれば必ず叶うんだ!」という類いの夢ではなく、普通に睡眠中に見る夢の事ね。
生れつき生きる気力や覇気に乏しい私は、昔も今も睡眠時間が多くなりがち。しかし十代の頃は寝過ぎてしまう自分にうんざりする程度には、まだ生きる事を諦めてはいなかった。自己実現の未来を夢見ていた。だから貴重な時間が眠っている間に過ぎてゆくのはあまりに勿体なく無駄なのではないか、と悩む事しばしばだったのだ。
しかし元来が意志薄弱で薄ぼんやりな私はどうしても覚醒を維持して生きられない。すぐにごろっとだらし無く横になりたがるし、横になるとすぐ睡魔が訪れる。そして訪れた睡魔に抗えず、すぐに眠りに陥ってしまう。目覚めれば、貴重な時間をまた無駄に蕩尽してしまったと自己嫌悪…といった案配で、要するに駄目だ駄目だの繰り返しだったのだ。
そんな時にある文章に出会った。中高生の頃に定期購読していた音楽雑誌のレコードレビューの欄に掲載されていた短い文章。その文章の中では夢についての考察が為されていたのだが、その考察の中で、以下のような事が書かれてあったのだ、
仮に一日八時間眠る人が六十年生きたとして、その内の二十年分は眠っている事になる。それならば闇が光を飲み込む事もあるように、四十年の覚醒の時より、二十年分の夢の時間の方が遥かに価値あるものに様変える事も可能なのではないか…
もう四半世紀以上も前に読んだ内容で、その文章が載っていた音楽雑誌もとっくに処分してしまったので、正確な引用をここに掲げる事は出来ないけれど、文意としては大体こういう内容だったと思う。
当時十六歳で、活発に現実を生きられない、光の世界の中には自分の居場所がないような居心地悪さしか感じられない、でも眠る事にも罪悪感を覚える、そんな八方塞がりの心情を抱えていた薄ぼんやりの少年にとって、その文章は心揺さ振られる魅力的な内容だった。
それ以来である、私が眠りの彼方に拡がる夢の世界に拘るようになったのは。~断続的にではあるが夢日記を綴るようになった。あまりにも断片的で曖昧模糊としていて、私の力量では文章に纏める事が出来ないような夢でも、目覚めてすぐに忘れてしまう事なく、覚醒後もその夢の内容を思い返して、そこに秘められている謎を考え面白みを味わってみる習慣も身に付いた。つげ義春や島尾敏雄、明恵、といった表現者や宗教家に興味を抱いたのも夢を通じてだったと思う。
それでは十六歳の頃から四半世紀以上に渡って夢に拘り続けてきた営為が、現実場面で何かの役に立ったのかと問われれば、残念ながら肩を竦めざるを得ない。そう、現実の場面で役立った事は何一つなかったし、得た物もない。人生の三分のニを占める光の世界ではなく三分の一の方に拘る人生を選んでみたものの、私のような無能無才には三分の一の夜の世界を光の世界より価値あるものに輝かせる術を手に入れる事は遂に叶わなかった…というのが正直な処だ。
しかし多感な十六歳の頃につまらぬ文章に影響を受けてつまらぬ拘りを生きる事になってしまった…と悔やむ気持ちは今はない。そういう後悔の念に気持ちが傾きかけた一時期も確かにあったけれど、今は、あの妙に忘れ難い文章に巡り逢えた事で、早い時期にもう一つの世への興味を抱けた事は自分にとって良かった、と心底そう思えるようになった。もしもその文章に巡り逢っていなかったら、睡眠の夢と戯れるという夢見心地な営為に溺れる事なく、もっと現実的な生き方が出来ていたのではないか、人生を踏み外す事なく、昼の世界に自分の居場所を確立する事が出来ていたのではないか、という恨めしさが湧いた時期を経て、今は諦念混じりにこう思うのだ、~所詮、あの時あの文章に巡り逢わず現実的な生き方を志していたとて、どっちにせよ自分の人間性では光の世界に居心地よい場所を手に入れられる事はなかったろう、現実社会で自己実現の夢を叶えられる可能性など微塵もなかったろう…と。
それならば、明朗な光のみに価値を見出だされる現実世界では益体もない存在として、肩身の狭い屈辱しか生きられぬ存在に、もう一つの世界、つまり地下世界に充足する生き方もあると示唆してくれたあの文章には、やはり感謝するべきなのだろう。
今は既に世間から忘れ去られた無名の音楽ライターが書いたその短文が 今は素直に懐かしい。もう一度その文章を読んでみたい気もするが、或いはそういう文章は記憶の中で何度も反芻されているが故に滋味が増して、よけい味わい深くなっているのかもしれない。