フェデリコ・フェリーニ監督

 

荒くれ男の大道芸人(ザンパノ)と金で買われた女子(ジェルソミーナ)のロードムービーです。

ザンパノから虐げられ,生きる意味を見いだせなかったジェルソミーナ。

石だって何かの役に立っているという言葉に励まされ,けなげに生きていました。

ある事件を目撃して心が壊れていき,ザンパノに捨てられます。

時が経過しジェルソミーナが演奏していた曲を耳にしたザンパノは自分が失ったものに気付きます。

 

 

コンドル (1975)とはプロデューサーのディノ・デ・ラウレンティス1)つながりです

 

 

映画にはジャンルというものがあります。SF映画,アクション映画,コメディ,スリラー,ミュージカル,ドラマ・・・・・・

その映画をどういう風に感じるかという分類もあるかと思います。

おかしかった映画,怖かった映画,スカっとした映画,いろいろですが,この映画は「切ない映画」です。

これほど切ない映画はほかにあるんでしょうか?

 

 

主な登場人物は3名

ジェルソミーナ (ジュリエッタ・マシーナ)

ザンパノ(アンソニー・クイン2))

イル・マット(リチャード・ベイスハート)

 

ジェルソミーナは,父親が出て行った貧しい暮らしの家庭で育ちました。しかもこの家は子沢山。姉のローザもいれると8人兄弟でしょうか。最初の場面では子供の数が6人でした。+ローザ +ジェルソミーナで8人。ジェルソミーナは次女ですかね。

8人の子を残して出て行った父親はひどいヤツですね。

母親も大変だけど,だからといってザンパノに1万リラで売るか?

 

まずここからジェルソミーナへの同情の気持ちを持ちます。

 

望んでもいないのに芸人にさせられます。

仕込まれ寸劇をこなし,ひと稼ぎをした夜は食堂で外食。

 

初めての経験なのでしょうか,ジェルソミーナはワクワクとしています。

ザンパノがつまようじを使うのをまねしたり,皿のシチューを徹底的にパンで拭き取るところがイイです。

 

丸レッドジェルソミーナ

 生まれはどこなの?

ダイヤグリーンザンパノ

 田舎だよ。

丸レッドジェルソミーナ

 私たちと訛りが違うわね。どこで生まれたの?

ダイヤグリーンザンパノ

 親父の家

会話する気がないんですね。

 

しかもザンパノはほかの女と出て行ってしまい,ジェルソミーナはここで待ってろと言われ一晩中店の外。

 

 

ザンパノは町外れの空き地で酔いつぶれて寝ています。

ザンパノが見つかり一安心。1人で木の格好をまねたり,トマトを植えたり,一見時間つぶしのようですが,楽しそう。

 

 

ザンパノはつねに仏頂面で人生の意味なんてことは考えたこともないでしょうね。

酒と女がいればあとはいらないって感じなのでしょうか。ジェルソミーナの名前もすぐには覚えませんでした。

 

 

立ち寄った結婚式。ここで芸をします。そして食事

イタリアですからパスタですね。マカロニにも似ていますが,ペンネでしょうか。

 

ザンパノは給仕してくれた未亡人のおばさんとも関係持っちゃったんですね。

たぶん。

ジェルソミーナかわいそう

行く当てもなく出て行きます。でも連れ戻されてサーカスの一座に合流

 

ここでもう1人の主要な登場人物イル・マット(Il Matto)が絡んできます

“Il Matto“の意味は,Google 翻訳では「クレージー」になります。

バカとか愚か者って意味なのでしょうが,全くそんな感じではありません。

 

高所での綱渡りをして,小さなバイオリンを器用に弾いて,ジェルソミーナに生きる希望を与えました。

 

 

丸レッドジェルソミーナ

 自分は何の役にもたたない。死んだ方がいい。

四角グリーンイル・マット

 ザンパノはどうして連れ戻した?

 イヌと同じで話したくても吠えるしか能がない哀れな男だ。

 でもヤツには君がついている。

 この世のすべてのものでも何かの役に立っている。

 例えば,この小石でさえも。

丸レッドジェルソミーナ 

 何の役に立ってるの?

四角グリーンイル・マット

 それは....僕に聞いてもダメだ。神様が知っている。

 この小石も星も何かの役に立っているはずだ。

 君も何かの役に立っているはずだ。

 

イル・マットがバカだとすればザンパノに絡んでおちょくったこと

ザンパノの導火線に火をつけ爆発させてしまったことが悔やまれます

 

 

修道院での会話

丸レッドジェルソミーナ

 何で私といるの?何の取り柄もないのに

 私が死んだら悲しい?

 前はアンタといるくらいなら死んだ方がマシと思っていた。

 けど今は結婚してもいいと思っている。

 いつも一緒だし石でも役に立つなら。

 あんたも少しはものを考えたらね。

ダイヤグリーンザンパノ

 考えねえよ。早く寝ろ。

丸レッドジェルソミーナ 

 ザンパノ,私のことが好き?

ダイヤグリーンザンパノ

 ・・・・・

 

ここで一言,優しい言葉をかけてあげたらどんなにか良かったのだろうになぁ

 

このあとザンパノは世話になった修道院の銀製の十字架を盗もうとしますし,取り返しのつかない事件も引き起こします。

 

これでジェルソミーナの心はズタズタ

急性ストレス障害から心的外傷後ストレス障害(PTSD)に陥っています。

これはれっきとした精神疾患ですね。精神療法(心理療法)だったり,抗うつ薬を主とした投薬も行なえば少しは良くなったんじゃないでしょうか。

 

でもザンパノに捨てられます。かわいそうなジェルソミーナ

 
時が経ち,サーカスの一員としてある海辺の街に寄ったザンパノが聞いたのはジェルソミーナがラッパで吹いていた曲。音楽はニーノ・ロータ。哀愁漂う曲です。
 

そして何年か前にジェルソミーナが亡くなったことを知ります。

ザンパノはその夜,したたか飲んで酔いつぶれて,「おれはだれもいらん。ひとりでたくさんだ」と言いながら,浜辺にへたり込みます。

波音がフェードアウトしていき嗚咽とともに砂に顔をうずめます。

 

この時ザンパノは何を思ったのでしょうか。

 

後悔,後悔,後悔

 

 

この映画の背景となり時代は,はっきりしませんが,ザンパノが乗っていた三輪のオートバイなどから推察して,第二次世界大戦後なのだと思います。

イタリアは戦後,アメリカのマーシャル・プランの恩恵を受け,経済復興し,1958年,EUの前駆体の欧州経済共同体発足後,「奇跡の経済」と呼ばれる発展をしています。

この映画では「奇跡の経済」と呼ばれる発展からはほど遠い,まずしい暮らしばかりが描かれていました。1950年頃が舞台でしょうか。

 

ジェルソミーナが売られた1万リラ。どのくらいの価値だったのでしょう。

この映画が撮影されたであろう1953年で考えると過去の通貨換算機能システム から計算すると1万リラ=5800円(1953年)でした。

1953年の5800円を2019年の価値に換算すると29000~37000円(日本円貨幣価値計算機)になります。

こんな微々たる金で人身売買のようなことができたってことですか?

 

「道」という題名の意味がどういうものなのか,フェリーニがどういう思いでこの題名にしたのかは分かりません。

道から道への大道芸人を描いた映画だからかもしれません。

 

ひとはそれぞれ進んできた道,振り返ればあの分かれ道でこっちに来てしまったけれど,こっちに行けば良かったと思うことは必ずあると思います。

ジェルソミーナもサーカスの人たちについて行くこともできたし,修道院に残ることもできたかもしれませんでしたが,でも彼女はザンパノを選びました。

 

ザンパノにしてみてもほかにも違う進む道があったはずです。

ザンパノは粗暴で,他人と人間らしい関係を築くことをすることをしない,孤独で荒寥とした人ですね。憶測で言うなら彼の育った環境も恵まれてはいなかったのでしょう。暴力的な父親から殴られながら育ったんじゃないでしょうか。

他人から愛されることもなく晩年を迎え,唯一心を寄せてくれたジェルソミーナを想い,引き返せない道を歩いてきたことに気づき最後の慟哭につながります。

 

 

この映画は第29回(1957年)アカデミー賞外国語映画賞を受賞しています。1954年イタリア公開ですが, たぶんアメリカ公開はだいぶ遅れたからなのだと思います。この年のアカデミー賞ではアンソニー・クインが炎の人ゴッホ(1956)で助演男優賞を受賞しています。

またヴェネツィア国際映画祭(1954年)では銀獅子賞を受賞しています。ほかの銀獅子賞はエリア・カザン波止場,黒澤明の七人の侍,溝口健二監督の山椒大夫でしたのでどれが選ばれても納得できたのに,金獅子賞はロミオとジュリエット(1954)でした。ちょっと選者の見る目がなかったんじゃないでしょうか。

 

 

 

1)ディノ・デ・ラウレンティス

イタリア出身の映画プロデューサーです。1970年代半ばまでは戦争と平和(1956),カビリアの夜(1957),天地創造(1966),セルピコ(1973),などイタリア資本の入った映画を中心にした製作をしてきました。その後はアメリカ映画主体に製作を行なってきました。

コンドル(1974)は製作総指揮として名前が入っています。

キングコング(1976)では最終的にジェシカ・ラングの演じた役のオーディションを当時新人だったメリル・ストリープが受けました。

彼女のことをイタリア語で"Troppo brutta per King Kong"(キング・コングには不細工すぎる)と言ったところ,完璧なイタリア語で「失望させてとても残念です」と答えられ,ラウレンティスは唖然としたという逸話が残っています。

 

2) アンソニー・クイン

メキシコ生まれでLAに移住しています。

俳優としてのキャリアをスタートさせる前は肉屋,ボクサー,街角の伝道師などの仕事をしていた苦労人です。

奨学金を得てフランク・ロイド・ライトのもとで建築を学んだそうです。

主演と助演の間を簡単にうまく行き来した俳優で様々な人種を演じています。

アカデミー賞助演男優賞を2度受賞していますが革命児サパタ(1952)ではメキシコ人,炎の人ゴッホ(1956)ではフランス人です。

「道」以外ではアラビアのロレンス(1962)でのアラブ人役が印象的でした。