『知らぬが仏(しらぬがほとけ)』とは
「知れば不快になったりすることでも、知らなければ平静でいられる」 という意味になります。
いつも仲の良い友達に、陰で悪口を言われていたとしても、その事実を知らなければ仲が良いままでいられるし、腹を立てるようなことにもならない、という状況などを指しています。
そこから転じて、「本来は知るべきことなのに、知らないからそうして平気な顔をしていられるんだ」という意味で用いられることもあります。
(意味解説ノートより) そういうことが5月14日の「安倍首相記者会見」の時に起こりました。
それは諮問委員会の尾身会長の行動です。
私はその行動を見て「感染症の専門家でもそういうミスをするんだな」と思いました。
尾身さんはマスクを外すときに右手で紐を持ち、(これはOK)しかし、左手はマスク自体を直接つかんでいます。
マスクにウイルスがついていれば、①左手はウイルスに汚染。(アウト)
つかんだマスクを左手に持って背広のポケットに。
②ポケットが汚染。(アウト)
背広の他の部分を触れば、その部分が汚染してしまいます。
尾身さんが帰宅して手を洗ったとしても背広はウイルスで汚染されています。
着替えた背広を奥さんが触れば、奥さんに感染するリスクがあります。
奥さんに感染すれば、家族が感染する可能性があります。
③右手でボールペンをつかみ、それを胸ポケットに。(まだOK)
④蛍光マーカーつかむ(まだOK)
⑤左手で資料を触る。
左手はウイルスに汚染されているので、資料を汚染。(アウト)
⑥マイクのスイッチを右手で触る。(まだOK)
⑦マイクで話す。(ソーシャルディスタンスでないですが、まだOK)
⑧両手を組む。
左手から右手が汚染される。(アウト)
右手が汚染されたから、それ以後は③、④、⑥はアウト。
記者会見以前にこのような経路で尾身さんの手が汚染されていて口などを触っていると感染している可能性がとても高い。
この時点で尾身さんが感染していれば、⑦はマイクが汚染されます。(アウト)
尾身さんはマスクをしないで話しているので、ソーシャルディスタンスの中に人がいれば、その人もアウト。
会見場には無症状の感染者がいると考えて記者と記者などとの間にソーシャルディスタントを取り、手話通訳の人はフェイスシールドをしています。
今はそういう(誰もが感染者と考える)時期で、そのための感染予防策「3密」を避けることを行っているのです。
感染対策を主導する政府がこんなことを見逃しているようでは本当に感染防止に取り組もうとしているのか疑問を持ちます。
もう一度、気を引き締めて感染防止対策を行っていただきたいと思います。
専門家でも油断してこんなミスをするのですから。
首相が使っている布マスク。
再使用が効くからと言って外してそれをかけ直しているのでは?
その時にマスクの表面にウイルスがついていると、先ほど書いたように汚染されます。
マスクは紐のところを持って外し、外したら捨てる。
それが原則です。
そうしないと汚染は起こります。
汚染=感染ではありませんが、感染の可能性が非常に高くなります。
ワクチン(医学的防御)がない今、汚染を可能な限り少なくすることは私たちがウイルスへの感染を防ぐためにできることです。 感染予防の原則は手と顔を丁寧に洗うこと、「3密」を避けることと言われています。
私たちの行動はその原則に従っているのかどうかセルフジャッジして下さい。
それを怠ると、シンガポールや韓国のように集団感染がおこり、感染拡大が起こります。
ウイルスは目に見えないので、汚染されたかどうかは2週間後陽性反応が出ないと分かりません。
陽性反応が出てからでは遅いのです。
その時はネズミ算式に汚染は広がっています。
それは目に見えません。
感染を収束させるかどうかは皆さんの意識や行動にかかっていると思います。
8割減にしたところで、2割で蔓延してしまえば収束しません。
「収束」と「終息」は意味が違います。 収束はある一定の値になることで、ゼロになるとは限りません。
終息はゼロのなることです。
専門家は終息と言わずに「収束」と言っています。
一定値でゼロでないということはいつまた増加するとも限りません。
気のゆるみはそのきっかけとなり得ます。