16.【征夷大将軍~もう一つの国家主権

 

 評価:75点/作者:高橋富雄/ジャンル:歴史/出版:1987年

 

 『征夷大将軍~もう一つの国家主権』は、源頼朝の征夷大将軍任官に始まり、徳川慶喜の大政奉還に至る、七百年の歴史及び、天皇主権と並び、それに置き換わる、もう一つの国家主権となった、征夷大将軍の政治論を問う、歴史解説書。

 本書の作者、高橋富雄氏は、東北帝国大学法文学部国史学科卒業後、同大学大学院特別研究生を経て、東北大学教養部講師、同大助教授、教授、名誉教授となる。

 その後、盛岡大学文学部長、学長。福島県立博物館館長。同名誉館長である。2013年に亡くなった。

 高橋富雄氏は、東北古代史研究の第一人者であり、永年、日本史上の謎とされていた、前九年の役の古文書に記述された、阿久利川事件発生地の比定に携わり、郷土史研究及び、発掘作業によって、宮城県栗原市志波姫の迫川流域(阿久戸の地域)同定に至った。

 高橋富雄氏の著者は、単著のみで、実に四十冊以上に及び、東北地域は、古代は、無論、蒲生氏郷、最上義光等の戦国大名、そして、武士道等、武士全般に及ぶ。

 古代史としては、『蝦夷』の時代から、『胆沢城~鎮守府の国物語』、『奥州藤原氏四代』に至る、東北地方の歴史と人物の解説書を、二十作近く、出版している。

 征夷大将軍体制、七百年の間、天皇は、存続し、その政府の朝廷は、持続した。

 しかし、制度の名目のみであり、実際には、政治主権としての天皇制は、実を失い、室町以降には、名義的に将軍を天皇に準じて、考える、思想が、一般化し、対外関係では、「日本国王」を称され、自称し、天皇に代わる、国家主権の名義を備えた。

 徳川幕府では、対外的に「大君」を称して、事実上の主権に留まる、努力をしているが、将軍が、日本国の政治主権であり、「日本国王」であることは、名実共に否定できなかった。

 徳川家康は、禁中並公家諸法度において、天皇・朝廷に関する、最高法規を制定し、事実、強制しているため、征夷大将軍府は、天皇府の上に立つ、立法・行政府となっていた。

 征夷大将軍の権力と志向は、源頼朝の鎌倉幕府の草創から、一貫しているわけではない。

 征夷大将軍府は、七百年の歴史を通して、鎌倉の独立政府から、室町時代の公方体制及び、天皇・朝廷の上に立つ、江戸時代に至るまで、変遷、増大したのである。

 本書は、「征夷使」等の征夷大将軍前史、坂上田村麻呂の古代征夷大将軍、鎮守府将軍を最初に解説する。

 そして、源頼朝が、征夷大将軍に任官されるまでの過程と理論について、詳述している。

 その後、鎌倉の武家政権の継承者は、征夷大将軍に決定した。

 鎌倉時代、征夷大将軍制度は、鎌倉に存在することを必須とした、東国政権であった。

 足利尊氏は、京に幕府を置き、足利義満以降、上皇相当の地位である、「公方」を称する。

 筆者が、本書を読んで、初めて、知ったことは、徳川慶喜の大政奉還と征夷大将軍辞任が、別の日、十一日間の差があることである。

 慶喜は、当初、征夷大将軍は、辞任していない。

 本書は、七百年、日本の主権者であった、征夷大将軍を知るための必須の一冊である。