【本】 『宮柊二集 8』(岩波書店、1990) 〜北原白秋にとって『才能』『文才』とは?〜 | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

本のおはなし。

図書館で借りました。

 

 『宮柊二集 8』(岩波書店、1990)

 

随筆集です。

 

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角川『短歌』2020年6月号

梶原さい子「八つの名言 ーー救いでもあり、喝!でもありーー」(pp70-71)

 

に紹介されていた、北原白秋の言葉の出典を調べるためでした。

梶原さんは「宮柊二『短歌に見る人生』の中に出て来る」と書いていましたが、

 

全集では『選歌随想[一]』(1966(S41))「才なくて」にありました。

原典にあたるのは大事です。

 

※梶原氏を責めるつもりはありません。むしろ紹介してくれたことに感謝しています。

 

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 「才なくて執するは誤り」という言葉がある。私自身そういう思いで自分を振り返ることもあり、友人から同じ意味合いでたずねられることもある。「自分には歌才というものがないのではないか。いつまで勉強していっても、遂に上達するということないのではないか。もし、あんたが私の作を見てくれていて、私に歌才がないと思うならば、そのことをはっきり言ってほしい。才がなくていつまでもやることはさびしい。そして苦しい」など。

(略)

  私と同じく北原白秋門下だった友人が、かつて同じことを白秋先生にたずねた。「才があるとかないとかだれがわかるか。質問にも相談にもならない。自分で決めなさい」と一カツされたという。このきびしい言葉は救いである。

24-25 「才なくて」

(『選歌随想[一]』所収 、1966)

 

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