創造の楽しさの原点探し 〜「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」展〜 | 西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

西宮・門戸厄神 はりねずみのハリー鍼灸院 本木晋平

鍼灸師、保育士、JAPAN MENSA(メンサ)会員/IQ149(WAIS-Ⅲ)、日本抗加齢医学会指導士、実用イタリア語検定3級。趣味は読書、芸術鑑賞、小説執筆(2019年神戸新聞文芸年間賞受賞)、スイーツめぐり、香水づくり。

きのうの話になりますが・・・


●橋爪彩 
横尾忠則
柄澤齊 
●淀川テクニック 
須藤由希子
山本桂輔 
●棚田康司 
小西紀行 
●北辻良央
小橋陽介

の10名の芸術家の作品が展示されています。(●はわたしが好きになった作家です。)

国立国際美術館のサイトからこの展覧会の概要を引用すると・・・

日本の現代美術家10組による「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」展を開催します。


ノスタルジーとは郷愁のことです。生まれ育った故郷を懐かしんだり、古き良き時代を思い返したりする心情を表します。思い出の中の風景は、その時の自身の感情に影響され、時には現実から離れ、空想の世界へと飛躍していったりするものです。この空想の世界をファンタジーと呼ぶことができるでしょう。ノスタルジーとファンタジーは、ともに私たちの誰もが抱く心のありようといえるのです。

芸術家もまた例外ではありません。彼らの創作活動の多くにファンタジーの世界が広がっており、そのファンタジーの源泉が、ノスタルジックなイメージから紡ぎ出されることもあるのです。


本展では、現代アートの重要な創作源として、この二つのキーワードに注目します。その際、そもそも創作自体がファンタジーではないかという考え方もあるでしょう。ファンタジーとは人間の想像力そのものとも言えるからです。したがって、本展では、ノスタルジーに固執する人間の意識の本性と向き合いながら、それを独自のイメージの世界へと昇華させた作品を取り上げたいと考えます。


一方で、彼らの作品が見るものを惹きつけるのは、現代を生きる私たちもまた、こうした心情を共有しており、それは時代の風潮というふうにも考えられるのではないでしょうか。未知の表現を目指す現代アートと、過去を指向するノスタルジーという心情は、まるで反対向きに思われますが、現代という時代は、この二つを結びつけているようにも思われます。


本展で紹介する、世代も作風も異なる作家たちの個性的な表現活動は、一見、脈絡のない個人的領域に属するものに見えますが、ノスタルジーとファンタジーという視点を設定するとき、それらに共通する一つの世界像が見えてくることでしょう。

正直、筆者の主観が入りすぎている気もします。
もっと言ってしまえば、あまりいい紹介文ではないーー伝えたい内容がピンぼけを起こしているように思います。
わたしより若い学芸員が書いたのかもしれません。
わたしにもこういう気宇壮大なことを言ったり書いたりした時代があった(笑)。


(「ノスタルジーに固執する」のは本当に人間の意識の『本性』なのか? 「彼らの作品が見るものを惹きつけるのは、現代を生きる私たちもまた、こうした心情を共有しており、それは時代の風潮というふうにも考えられる」って、今の風潮って本当にそうなの? 等々、筆者に質問したい点がいくつかある)

展覧会を見て、
現代美術はコンセプトと技法と着想が分ちがたく結びついていると思いました。

三すくみのように、一つの要素が他の要素を制御・制限しているということです。
横尾忠則の技法や着想では、小西紀行の世界は絶対に作れない。

いつの時代だってそうではないかと言われれば、そうかもしれません。

しかし、ミックス・メディアやコラージュ、エマルジョン、複製といった多様な表現技術が用意されている現代においては、
自分の表現したいことをシャープに、的確に(決して「上手に」ではなく)決定していく「リテラシー」も身につけないといけません。
情報化社会を生きる上で必要なスキルーー素材と主題の適切な取捨選択ーーが芸術にも求められる。そういう時代になった。

「何をしたっていい」時代だからこそ「何をしたいのか」、創造の原点の置き方が重要になってくるのです。

確かなのは、「自分は何をしたいのか、世界をどう変えたいのか」を形にしていく創造の楽しさが、どの作家の作品にも溢れていること。
「自分も何か新しいこと、本当にやりたいことを見つけよう」と前向きにさせる力がこの展覧会にはあるということです。

2014年9月15日(月・祝)までの展示です。おすすめします!