「辞めてからの青写真はできたかい」
「確たるものはまだありませんけど、今までと全く違う世界で生きて行ければと思っています。二人とも決して若くはありませんし、多大な犠牲を払ったわけですから、一緒に過ごすことを第一に考えるつもりです。食べていければ、それで十分ですから」
「一回の人生で二度生きるようなものだ。考えようによっては贅沢な生き方だと思うよ。大多数の人間は不本意だとは思いつつ、現状に流されて生を終えるんだからね」
「はい、そうかもしれません」
「寂しくなるね。トーホーもね、今年限りのつもりでいるよ」
「えっ、御方様もお辞めになるんですか」
「うん。いずこも同じ秋の夕暮れだよ。これからは、パソコンで素人でも絵が描けるようになるからね。こっちみたいな職人は出る幕がなくなると思うよ。お払い箱になる前にいなくなるのが身のためだよ」
二人とも無言だった。コンピューターの出現によって、職人芸や手作業が過去の遺物となる日がひたひたと迫っていたのだった。
「時代ですね」
「時代だね。老兵は死なず、ただ消え去るのみだよ」
「そんな寂しい事を…。辞めてから、どうされるご予定ですか」
「これと言って何もないけど、ここまで生きてきても人間というものがさっぱりわからないから、文学の勉強をしてみたいとは思っているんだよ。細かい仕事で長年目を酷使してきたから、目の効くうちに本は読んでおきたい。ちっぽけな家だけど幸いローンがないから年金で暮らしていけるからね。姉と二人で猫を相手に気ままに暮らすつもりだよ」