「困ったな。住民票は、ちょっと取れない状況でして……」
「なるほど、矢切の渡しですか」
「ええ、まあ、色々ありまして」
「色っぽくてうらやましいですな。アタシなんてね、一杯飲んでいる横で、女房がホッテントットみたいな顔でパクパク飯を食っているんだからね。死にたくなりますよ」
「いやだわ! アハハハ」
「人生は色々ありますからね。じゃあね、ご希望の車はうちの会社名義でローンを組みますよ。お客さんは、毎月ここに支払いに来てくれればいいですから。車庫証明もこちらで取るし、車庫代はサービスしておきますよ」
「いやあ、地獄に仏です。社長、恩にきますから」
「大袈裟ですよ。こっちだってちゃんと商売になるんだから。三日後の午前納車ですからね。まあ、仲良くやって下さいよ」
胸に熱いものが流れた。二人して、ただ頭を下げるしかなかった。
「矢切の渡しですか、だって。何て色っぽい言い方をするのかしらね」
「遊んだ味っていうやつだろうね。いやあ、この社長の事は一生忘れられないと思うよ。下町の人は人情味があるね」
「ここは良い所だわ。隠れ家にしておくのはもったいないくらい。だけど、私達って、矢切の渡しっぽい雰囲気があるんですかね」
「貴女が物欲しそうな顔で見るから、こういう事になった」
「失礼ですね、まったく。直属の部下をかどわかしておいてこの言い草なんだから、肝に銘じてください。同じ事をもう一度やったら、それこそ物笑いの種ですからね」
「できないよ。金がないもん」
大笑いしながらの帰り道であった。