「ええっ! 失礼ですけど、御方様って子供を生んだ事があるんですか」
「そうだよ。妊娠がわかった時、絶対に生もうと思った。死の影がどこかに消えて生の喜びを手に入れたっていう達成感があったんだよ。道をたがえてまで自分で手に入れた境涯だったから、戸惑いよりも歓喜の方が強かったね」
「そうですか。じゃあ、お母さんと同じ様に、一人で育てて来られたんですか」
「いいや」
「えっ」
「生まれてすぐにおまわりさんの家に引き取られたよ。苦しんでいる彼の様子をいぶかしんだ奥さんが問い詰めて、彼が洗いざらい打ち明けたんだ。そしたらね、不妊治療をしていても、どうやら子供が生まれそうもないっていう事で、奥さんが事情を全部呑み込んだ上で、<自分が育てたい。あなたはまだ若いんだから、出直したほうがいい>ってね。頭が割れるんじゃないかと思うくらい、悩んで悩んでさ、最後に考えたのは、自分の持っている死の影に子供を巻き添えにしてはならないっていう事だった。生のエネルギーを感じた彼に託すのが子供の幸せじゃないかって思ったわけだ。それに、奥さんへの罪滅ぼしもある。承知しないわけにはいかなかった。子供は当方が責任を持って育てますって泣かれてね、地獄だったね」
「えっ、当方って言ったんですか。そうですか、それで御方様はご自分の事をトーホーって言っているんですね」
「そういう事だよ。自分の身を律するためにね。娘の不始末で母親はすっかりふさぎ込んでしまったし、トーホーも子供恋しさと申し訳なさで気が変になりそうな日々だった。もうどうしようもないってあきらめた時、せめて子供に恥ずかしくないように、身ぎれいに生きて行こうと決めたんだよ。製図の学校へ行って、技術を身に付けて、理工舎に入社して、自分の口を拭ってきた。おまわりさんがトーホーの最初で最後の男だよ」