第5章 けもの道 (4) | 3.5次元の不倫

3.5次元の不倫

この本は恋愛と人生についての小説ですが、
ひきつづき児童書(英語の対訳付)を書きました。
おたのしみに!

「死の影とおっしゃると」

「トーホーはね、父親の顔をロクに覚えていないんだよ。肋膜で三十七歳の若さで死んでしまったからね。こっちは、四つくらいだったらしい」

「そうですか。家族を残して、無念の死ですね」

「百貨店の外商部にいたから、普通に行けばそのまま中程度の生活はできるはずだったんだけどね。背丈も大きくて、体格も立派な男がその若さであっちへ行ってしまうなんて、死の影を引きずって生まれて来たとしか思えないよ。無情だね。そしていよいよ、家の借金と三人の子供を抱えて、母親の難儀が始まったわけだ」

「わかります。私も連れ合いに早死にされた二人の叔母が七転八倒する様をイヤというほど見せ付けられてきましたから。私が経済的な自立にこだわるのは、そこにも理由があるんです。だけど、当時は女の人の職場なんて本当に狭き門でしたから、おいそれと働き口もなかったでしょうね」

「ただね、幸いうちの場合は父親の同僚が心配してくれてね、横山町の生地問屋に事務員としてすべり込む事ができた。嫁入り前の父親の妹が子供達の面倒を見るって言ってくれてね、狭い家に同居して、母親はひたすら外貨稼ぎに追われる毎日だった」

「そうですか。でも、叔母さんがいてくれたから、寂しくはなかったでしょうね」

「寂しいなんて言っている場合じゃないってわかっていたからね。時代が貧しかった分、昔の子供は察しがいいし、我慢強かったよ」

「そうですね。大人も子供も必死で命をつないでいた。だから、家族としての絆も揺るぎ無い物がありましたよね」

「その通りだよ。毎年、暮れになるとね、母親が問屋街の安売りで皆にセーターを買ってきてくれるんだよ。叔母と四人で母の帰りを待ちわびていた。大きな包を抱えた母親に飛びついて行くと、バッグに入っている鯛焼きの甘い臭いがプーンと鼻をついて、ああ、幸せだなって感じたもんだった」

「いいシーンですね。涙が出そうです」