岩槻:久伊豆神社と雛人形 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

2月15日

埼玉県さいたま市岩槻区。

因みにさいたま市とは、
浦和市・大宮市・与野市・岩槻市が
合併して生まれた政令都市である。

もともと岩槻は岩槻城の城下町であり、
日光御成街道の宿場町。

しかし何となく浦和や大宮や与野と比べて
地味な感じがするのは単なる私の偏見である。

岩槻は人形の街としても知られており、
実に落ち着いた歴史ある街なのだ。

岩槻の総鎮守
久伊豆神社へ。


 

以下は神社のHPを要約

 今から約1500年前に、
 出雲族の土師氏が東国へ移住するにあたり
 この地に大国主命を勧請したのが
 始まりとされています


 

 平安時代、武蔵野に勢力を誇った
 武士集団「武蔵七党」のうち、
 野与党と私市党の崇敬を集め、
 その勢力下にあった元荒川流域に
 久伊豆信仰が広まりました


 

 戦国時代、扇谷上杉家の重臣、
 太田道灌が岩槻城を築くと
 その城郭内に総鎮守としておかれます

 それ以後、江戸時代まで城の守護神として
 歴代城主から厚い崇敬をうけ。。。



土師氏(はじし)は野見宿禰を祖先とする。

殉死者の代わりとなる埴輪を考え、
古墳の造営やサ葬儀儀式に
関わっていたとされる氏族である。

野見宿禰といえば、
相撲の祖でもありますナ。



土師氏は百済系の渡来人とも考えられており、
この神社の由来が土師氏にあるとすれば、
大和朝廷が東国の開墾を進めるために
渡来人を移住させていたことと結びつく。

そんなことを考えながら、
本殿の裏で深呼吸。



御神札所の中にも
古い雛人形が飾られている。






 

うーん。。



うーん。。。

 



良く判らんけれど、
きっとこれらは大変貴重な
人形たちなんだろうなっと。

値段書いておいてくれればいいのに。

さて先に進もう。

今日はおみくじは引かない。


 

境内には飼育されている

孔雀の小屋もあります。



ところで孔雀って飼えるのか。

飼えるそうだ。
特別な許可もいらないらしい。

庭で孔雀を飼うのもいいな。


朝起きて窓を開ける。

するとそこには羽を広げた孔雀がいて、
ガチで私と目が合ったりするのだ。