岩槻:本丸跡から久伊豆神社へ | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

2月15日

埼玉県さいたま市岩槻区。

因みにさいたま市とは、
浦和市・大宮市・与野市・岩槻市が
合併して生まれた政令都市である。

もともと岩槻は岩槻城の城下町であり、
日光御成街道の宿場町でもあるが、
何となく浦和や大宮や与野と比べて
地味な感じがするのは単なる私の偏見である。

岩槻は人形の街としても知られ、
実に歴史ある落ち着いた街なのだ。

そんな岩槻。

岩槻城址公園のこの辺りは、
当時は広大な水掘だった。



築城の始まりは室町時代。

江戸時代には日光に参拝する徳川将軍の
宿泊所になっていた。

江戸時代になっても
主に土塁と水掘で築城されていたため
石垣や天守閣などはなかったが、
岩槻は江戸を守る要地でもあり
城としての規模はかなり広大なものだった様だ。



が、今日は先を急ぐ。

市内に城の遺構は殆ど残っていないが、
町名にはその名残が残っている。

この公民館辺りの地名も
まさにそのまま「本丸」である。




 

さらに歩く。

この郵便局の名前も「本丸」



「本丸キラキラ商店街」

ネーミングのセンスはともかくとして、
岩槻城の本丸の規模は実感。


 

踏切を渡る。



「新正寺曲輪」

本丸から沼地をはさんで
北側に築かれていた曲輪の跡。



そこに岩槻の久伊豆神社がある。


 

雰囲気のある長い参道。

1500年前に創建された
岩槻の総鎮守である。

 

 




 

 

境内には庭園も。


 

そして神楽殿の舞台に並ぶ

華やかな雛人形。




 

 

なるほど。
岩槻は人形の街なんだな。




 

 

因みに

 あかりをつけましょぼんぼりに

という歌。

あの歌を聞くと気が滅入ってくるのは
私だけだろうか。

何かの呪いの歌の様に聞こえてくる。


もしかしたら
何か前世の因縁でもあるのかもしれぬ。

因みに作詞はサトウハチロー。
作曲は河村光陽。

実はこの歌の詞には間違いが多く、
また急激に歌が広まってしまったために
詞の修正も追いつかず、
作詞したサトウハチローは
この歌をとても嫌っていたそうである。