日光街道を歩く:栗橋宿・静御前の御持仏と番士屋敷跡 | はろはろはうすの<何を食べようか>

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夕べ何を食べたかも忘れてしまうオッサンの、気が向いたらの日記です。

1月4日

日光街道の栗橋宿。

この宿場町には、
とても興味深い伝説がある。

そのひとつ。

「経蔵院」へ。


 

源義経の愛妾であった静御前は、
奥州に逃げ延びた義経を追って
侍女の琴柱と僕僮を伴い旅に出た。

 

しかし奥州に向かう途中、
義経が亡くなったとの報を聞いて
落胆のあまり病気になってしまう。


そこでこの寺で養生に勤めたものの、
露の様にそっと儚い生涯を閉じた。(たぶん)




侍女の琴柱は髪を落とし、
西向尼と名乗って静を弔うために、
京都嵯峨野から静御前の御持仏である
地蔵菩薩を持ち帰った。

そして西向尼も亡くなり、
地蔵菩薩はこの寺のご本尊として
祀られているという。




この仏像は漆乾製(和紙と漆)の立像で、
日本で三体だけという
数少ない貴重な文化財であるとのこと。

 



そういえば確かあの有名な
奈良興福寺の阿修羅像も漆乾製でしたね。

和紙と漆の張りボテなので軽く、
女性が京都からここまで運んだとしても
あまり苦ではなかったかもしれない。

とはいえ製作年代は江戸時代中期と思われ、

時代があまりにも合いません。

 

残念!



 

寺の隣には香取神社。



そしてその近くに

「栗橋関所番士屋敷跡」

がある。



栗橋関所に勤務していた番士(役人)の
屋敷跡である。

番士の勤務は朝6時から夕方6時まで。

2人1組で5日交代。
手当は20俵2人扶持。

番士の屋敷は4軒あり、
洪水の被害を避けるために
高い盛り土の上に建てられていた。

今はこの史跡もスーパー堤防の工事のため、
発掘調査ののち更地になっている。

 




 

確かにここは利根川がすぐそこである。

最近の異常気象もあって
どうしても洪水の恐怖を考えざるを得ない。



そして利根川へ。




 

これが

 

「板東太郎」

 

と呼ばれた関東を代表する

暴れ川なのだ。


 

振り返ると栗橋は夕景の中にある。